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2006年06月04日
■THINKING ABOUT BARRIER 【6】
『外敵の恐怖』
社会面、経済面、政治面、そしてスポーツ面ととっても多彩な紙面でズッシリ重いのが昨今の日本新聞である。話題には事欠かない日本の新聞だが、社会面は嘆かわしく、恐ろしさすら感じる。
怨恨上の殺人、しかも血族の事件もかなり多い。それが謀殺事件だとしたら、ゾッとする。海外にいると新聞では、時折、murderという言葉を見つけるが、よくhomicideを使っている。殺意なき殺人を意味するmanslaughterは滅多に使われない。一時の激情によって殺意を生じて殺人を犯した時に使う言葉だが、その英語を見詰めていると背筋が寒くなる。因みにlaughterにsをつけてslaughterにすると虐殺という事である。今、日本社会で毎日のように報道される殺人は殆どがlaughterがつく事件だと思うと事件の陰で暗闇の中で声無く笑う人間がいるという事である。
人間は何故、そんなに命を粗末に扱うのか。人間は斯くも頑丈で壊れ難い多くの機能が寄せ集まって生命を保っているのに・・・
障害を持つ身になって、命の尊さを初めてじっくり考えるようになった私は、新聞紙上を騒がす殺人で次代を担う若者が犠牲者だったりすると、口惜しくて堪らなくなる。好んで障害を受け入れた訳ではない。好んで殺される人がいる訳はない。
先日話題の映画「戦場のアリア」を観た。戦場で指揮官は勝つ為に兵士達の戦意をあおっては戦闘の中に送り込む。そして兵士達は任務遂行の為だけに我を忘れて戦う。敵味方、共に人間という同じ生き物として「前線で心身ともにボロボロになった状態の中で戦いを望む人間はいない」というと尊い心が強烈に伝わる傑作だった。
戦争が終われば、そこには死者と障害者という人間が山になって残されるのである。敢えて死に急ぐことはない。敢えて不便を求めて障害者になることはない。ひょんな事で、障害という不便を受け入れてしまったら、経験を教訓に置き換えて、今は便利を両手に抱えている人にも教えてあげたい、と思うのは私だけだろうか。
悼む死の中に生きる喜びを感じる。不幸の中に幸せを見つける。そして不便の中に便利を感じる。「戦場のアリア」は敵の中に味方も忘れていた心の尊さを伝えてくれたのである。外敵の恐怖について、先日、障害者の仲間と話し合った。死などという真剣な事でなくとも、障害者は健常者以上に絶えず、外敵の恐怖に怯えている。「お節介」という愚かな行為である。頼まれもしないのに、自らの判断だけで、手を貸そうとする人を外敵と呼ぶのは気の毒だろうか。そんな人に限って、手を貸して欲しい時ほど、知らん顔したりするものである。解りやすい例を挙げてみよう。一階に住む自分を例に取ってみる。玄関の重いドアを開けて室内に入る時、私は先ず左手でハンドルを半回転させる。ドアを少し開けて、左の靴にドア自体を委ねる。一寸強引だが、次に左手を内側のハンドルに持ち替えて僅かでもドアを遠くに押しやる。そして、瞬時に体をドアに挿む。やっと、そこまでやった途端に「大丈夫ですか?」と言って、いとも簡単にドアを結構勢いよく引こうとする人がいる。頼まれてもいないのに! よかれ!と思って手を貸しているのは分かる。だが、私は突然、頼りにしているドアを取られてギョッとしてゾッとするのである。
残念ながら、外敵の恐怖はお節介親切心と一緒にやって来るのである。皆さん、こんな経験、お持ちかしら?
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 2006年06月04日 23:57