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2007年03月12日
■Thinking About Barrier【15】
『私なりのノーマライゼーション』
片麻痺の私は痺れ天気予報士として「痺れが発生しやすい天気図」を発表できるのではないだろうか、と思ってしまうほど低気圧の暴れる様子が結構早くから予想する。
今年の春一番はバレンタインデーに吹いた。無論春二番はないが、その再来は確かにあった。とにかく、日本海側に発達した低気圧の悪ふざけで痺れが倍増するのはかなわない。
障害を受容するにあたって、我々には社会的な受容と自分自身の受容のふたつが考えられる。立春の頃、急速に発達した低気圧が日本海を通る時、気温が急上昇して吹く突風は多分に災害を引き起こす。春二番と称する日、東京では昼過ぎに最大瞬間風速30メートルを記録している。白金の横断歩道では若者がよろけていた。道幅が広くて妨げがないので若者は風をもろに受けたのだ。後に続く障害者の私は車椅子の重心が低いが為に比較的安定して走行していた。よろける若者につい「危ない!大丈夫ですか?」と声をかける私を振り返って彼は笑った。
一般的に障害者は社会不適合から比較的自分を孤立させてしまいがちである。
身近に消失とか消滅が起こってから、生滅とは考えるものである。「亡くなって初めて分かる親のありがたみ」というではないか。反面教師というのも周りには吉と出ることも数少なくない。障害があるからこそ、ということも間々あるというわけである。そんな馬鹿な!と言う人がいるかも知れないが、障害を抱える私が言うのだからあながち嘘!とも言えないだろう。
私が先ず、それを強く感じるのは「自然の受け入れ方と時間の使い方」である。私は、私なりの的確な「自然の受け入れ方と時間の使い方」を実践してきたと自負している。2001年秋に障害を受け入れた私は丸1年後に豪州のNGV国立美術館からSpring Flowers, Autumn Grassという企画展の準備報告を貰った。20年来のパートナーである学芸員博士の活躍の様子は私には手に取るように解った。凡そ半年に亘る準備報告と結果報告が私を奮い立たせたのである。先ず、リハビリに励む傍ら、子供達からパソコン操作を習い、障害者センターを頻繁に出入りし、マイブログ(脳のミステリー)を立ち上げた。その後、私はNGV国立美術館から次々に展覧会の裏方の仕事を依頼されるようになった。2004年は中国と日本にフォーカスしたArt of Zen展が開かれ、2006年には中国に焦点を置いたMountains and Streams展と日本に重点が置かれたFocus on Lacquer:Japan Lacquer展が開催された。発病後5年経った戌年が豪日友好30周年だったのも私にとってはラッキーだった。再開した私の仕事は英語という語学を介しての日本工芸展の下準備である。私は「昔取った杵柄」よろしく仕事に燃えた。障害を自然に受け入れた私は、自然に社会復帰したのである。そこには私流の時間に対する考え方が根底にあった。トルストイの「流れ進むのはわれわれであって、時ではない」で、私は時の流れに身を任すことはなく、自ら進んで行ったのである。斯くして、私は仕事の上でノーマライゼーションを手中に収めたと自負している。ある人が言っている。「障害者や病者は異常な状態として捉えられ、時に社会に於いて様々な偏見や差別を受ける一方、障害とか病人として人間の権利を主張できることになる」確かに、と頷きたくなる。同人の言葉は更に続く。
「それによって、社会的にも主張する主体として認められ、様々な社会サービスや人々の暖かいまなざしを受けることができ、それがいいかどうかはともかく普通になる、または近づくことを目指していく」そして更に頷く私は、自分の可能性を以て、誰もが可能性があるだけでなく、羨望の眼差しで見られることだって夢ではないよ、と付け足したくなった。Boys be ambitious! 少年よ大志を抱け! そう、Disabilities
be ambitious!
障害者よ大志を抱け! ともじったら今話題の著作権云々で窮地に追い込まれるかな? 北海道開拓の歴史を伝えるものとしてあまりにも有名な言葉は現代を凛として生きる障害者には優しい筈だ?!
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 11:44