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2007年08月21日

■Thinking About Barrier【20】

『8月10日:夏日が10日も続く異常さ』

阪田久美子

 私は「五風十雨」という言葉をよく用いる。だが「十日も続く夏日」の後に続く言葉はなんだろう、と戸惑ってしまう。湿度の高い国だから、今日でもう既に熱帯夜が8日間も続いている。気象を変える事はできない。だが、対処の仕方には色々ある筈だ。
 幼い頃、路地裏であちこちの家の玄関先では、夏になると夕方、涼をとる為に「打ち水」と称して水を撒いていた。玄関先の様々な鉢植えは日本のれっきとしたガーデニングの象徴だった。朝、愛犬を連れて散歩に出ると、あっちでもこっちでも高齢者の方々が夫々の家の前に水を撒いている。朝の水巻もいいものである。言うまでもなく、日差しがどんどん強くなってくるから、瞬く間にアスファルトは元の色に変わってしまう。
 私は、確かに車椅子の利用者になって物事の捉え方が違ってきたのを自覚している。地を這うように走行する私の車椅子は幾つかの「迷惑」を被る。ふたつほど例をとってみようか。共に人間の手によって用意される迷惑である。ひとつは打ち水が作る道路の汚れた濡れで、もうひとつは冷房が噴出す熱気である。

 道路の水は私の愛車がチョッと跳ねて足元を汚す。冷房の熱気は容赦なく私の体を不愉快にも包む。冷房から吐き出される熱気は、空からの太陽の熱と相俟って、その瞬間熱は信じられないほどの高温になる。行き場のない熱気は容赦なく私を襲う。では、道路に撒かれた水はどうだろう。確かに、一昔前は都会でも土があり、撒かれた水は地下に埋蔵されていく運命にあった。そしていつかは太陽の熱の恩恵を被って、蒸発し、やがて雲や更に雨に変わるのである。例えアスファルトの上でも掛かる時間は違ってきてもその工程は同じような事である。自然による循環は確かに再生を繰り返すという事が明らかに分かるし、悪循環ではない。
 熱帯夜という言葉は日本独特で他国では「うだるような夜」という事でsultry night と言って決してtropicalという表現は使わない。そしてsultryという単語自身が土地々々で「蒸し暑い」とか「焼けるように暑い」と意味が微妙に変わってくるのである。メルボルンでの体験だが、red hotという表現で「焼けるような暑い」時でも家の中に入るとスゥーッとしたり、ヒンヤリしたものである。因みに私が住んでいた家には暖房はあっても冷房はなかった。日本では、特に東京など大都会では、競って全ての建物が冷房完備なので、外の温度は異常な高温になってしまうのである。屋内が涼しくなるという事は熱が何処で処理されているかという問題があるのは否めない。
 文明がここまで発達して、電化製品がここまで一般家庭に入り込んでくると、懐かしい生活は取り戻せないのだろうか。「不便」な暑さを凌ぐ電化製品は確かに人間の身体に「便利」な冷たさを齎すが、その「便利」が振り撒く熱気の処理を「不便」に誘導せずにやって退ける術をいつになったら人間は知るのだろうか。
 「五風十雨」は天気が順調で世の中安泰という事だが、「夏日十日」は悪天候で世の中不愉快という事だろうか。限りなく大地に近い処を走行するようになって私は自然と向き合って考える事が多くなったと言わざるを得ない。
阪田久美子

阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/

投稿者 bfc : 16:48