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2007年11月14日

■Thinking About Barrier~【23】

『ヒューマンぷらざ祭りに参加して』

阪田久美子

 11月4日はカレンダーの悪戯で連休になったり、そうでなかったりして、何だか一日の損得を考えていた勤め人時代が懐かしいが、今年は損した感が残る文化の日連休だった。得をしたのは多分「快晴!」だったお天気である。これは最高の得である。
 私はBFCのテントで『マイ・ラブ、マイ・ドッグ』の販売を自らが担当した。OT仲間のSさんという素直で可愛い女性が助っ人として参加してくれた。

 私は所謂健常者の立場では、倒れる前の数年間、港区の外国人相談室長として幾度か独自のテントを持った経験がある。
 内モンゴルからの留学生の支援が主たる思いだったが、ある特定の国や人を支援する為に相談室としてテントを持つ事は不可能だったので、私は自分の力を試す気持ちで独自のブースを持つ事にした。周知のモンゴル国とは違って、中国の内モンゴルは貧困に悩む小さな自治区である。代表として私に面会した留学生は
「日本人にとっては僅か2,000円ほど、2千円札ならたった一枚、それで内モンゴルの子供達は一年間学校に行ける!」
と熱っぽく語った。この種の悩み相談は甲乙つけ難く、支援は難しい。だが、一度ではなく何度も私の所に足を運ぶ留学生はついに私の心を動かし、立ち上がらせた。
 私は留学生に言った。
「一度だけね! 私のやり方を見て、来年からは自分達でテントの申請をしなさいね」
不安そうに、留学生は私を見詰めて言った。
「出来るかしら?」
私は答えた。
「勿論、私に出来て、あなたに出来ない事ってあるかしら?」
区民祭り当日、留学生は故郷の親に頼んだ小さな品物をテント内のテーブルにいっぱい並べた。代表の父親は内モンゴルでは有識人と言われる教育者だった。私は出来る限り、歩く人を呼び止めた。区長初め、区役所の職員、党の区別を考えない区議会議員、国際交流の仲間、更に見知らぬ人に声を掛けた。
「皆さん、馬頭琴って知っていますね! 小学校で習った、ホラッ、あのスーホーの白い馬の、あの馬頭琴の国からいっぱい運んで来たんですよ!」
テーブルに並べられた品物は子供達が財布に入れてきたお金で買える物ばかりだった。玩具が飽和状態の日本の子供達は、民俗衣装の人形やゲルという家屋に目を輝かした。結果は、大成功!十数万円もの売り上げがあった! 勿論、私の友人達が事前にバザー用品として港区役所にたくさん配達してきていたので、それが売り上げを伸ばしてくれた。
 留学生は喜び、同時に翌年からの自分達のテントを不安そうに語った。
「こんなに出来るかなあ!」
「無理でしょう!」
「えっ!」
「だって、日本に留学して数年でしょ。無理ですよ、多分。でも、工夫するの。自分達で考えるの、何を売ったらいいかって。他のテント見に行ったでしょう? どうだった?」
「食べ物屋さんと安くした小物が売れていた!」
「そうでしょう!でも安かろう悪かろうはダメなの。いい物が安ければ、皆飛びつくのよ」
私のテントが想像を遥かに超えた金額を出したのは「いい物をいっぱいバザーに出してくれた」知人や私の生徒の親がいたからである。
「不用品なんてないもの!」
「食べ物なんて何を出したらいい
の?」
留学生達は口々に呟いた。私は簡単に作って簡単に食べれるおやつ感覚の食べ物はないか、と訊ねた。すると一斉に「餃子! 内モンゴルの餃子! 比較できないほど美味しい!」
「じゃあ、それにすれば!」
翌年、留学生達は自分達のテントを持って餃子作りの実演と販売をやった。私はテントには入らず、会場を歩いて、ビラ配りと口コミに専念した。そして、翌年も、その翌年も、留学生は私から離れて自分達のやり方でテントを持った。今はどうしているかは知らないが、風の便りで「基金」を立ち上げたようである。
 あの時の留学生の不便は「言葉」と「日本の習慣」だったのかもしれない。今回自らが障害を持ち、物品を売りさばくのはかなり困難だと私は今更ながらのように再認識した。私は障害者になって、それでも得意分野として自らも認められるあのハイパーグラフィティー(書きたい脳)を駆使しての書籍販売には○印があげれるが、今回の様に自らが片麻痺を押して販売するという事には△マークがやっとであると再確認した。予定した部数の僅か半分という結果は私に反省を齎した。
 未だ未だ暗中模索の感があるBFCでのテントに持ち込む品物にはもっともっと考える余地がある。来年はBFCのメンバーには更なる成果を望むところである。
阪田久美子

阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/

投稿者 bfc : 12:11