2012年01月11日
Thinking About Barrier【61】
目標
新年を迎え今年の目標は、まずは昨年の入院を踏まえ、健康でありたい事だ。それには規則正しいバランスのとれた食事と、適度な運動が欠かせない。食事は、現在、港区の配食サービスを受けている。運動は、Rさんのコーチによるプールでの水治運動療法(WAPT)を週1回1時間行っている。
また、設立7年を迎える主宰するNPO法人BFCの活動をもっと活性化したい。
(Tad)
投稿者 bfc : 11:07
2011年12月27日
Thinking About Barrier【60】
出逢い
人生は出逢いと言うが、今年も早12月。良い出逢いがあったか自問してみる。
まずRさん。彼女は、僕が水治運動療法(Wapt)の日本の第一人者と目するM先生に紹介して貰った水治運動療法のコーチ。彼女は、3歳から水泳を始め、オリンピック選抜候補にもなった経歴の持ち主。キュートで誰にも好かれる性格。Rさんのコーチによる週1回、1時間のプールでのウォーキングやスクワット。水に浮いてのバタ足等のWaptはいつも短く感じる。
また、8月に入院した虎ノ門病院の個性豊かなナースの皆さんも忘れ難い。
(Tad)
投稿者 bfc : 13:51
2011年11月15日
Thinking About Barrier【59】
ヒューマンぷらざまつり
ヒューマンぷらざまつりは、例年10月に港区立障害福祉センターで開催されるお祭り。
テーマは「障害のある人もない人も手をつなぎ地域との交流より深く」。作品展示。ステージ。模擬店。バザーと言わばこの施設のオープンハウス。既に13回を迎え、npo法人bfcもバザーで参加して7年になる。今年は、慶応大学jazzバンド「ライトミュージックソサイエティ」や、白金小合唱団がステージに参加してくれた。模擬店やバザーにも、港区に多い大使館等新しい出店を期待したいものだ。
(Tad)
投稿者 bfc : 16:57
2011年10月28日
Thinking About Barrier【58】
健康管理とadl(日常生活動作)
8月に体調を崩し1か月入院した。結果、これまでのリハビリで身に付けたadl(日常生活動作)の多くを失った。入院中からリハビリを始めたが、以前のように日常生活動作は戻っていない。我々のようなdisabiriyにとって健康管理と維持が、いかに大切かを改めて思い知らされた。
(Tad)
投稿者 bfc : 09:50
2011年06月14日
Thinking About Barrier【57】
ボタンの位置
EVにしろ都バスにしろ、乗降階や停車駅の指示ボタンが高い位置に設置されていて、僕のような車いすユーザーには、手が届かない。disabilityの当時者視点で、設置して欲しいものだ。
尤も、最近のEVには、低い位置にボタンを設置しているEVもあるが。
(Tad)
投稿者 bfc : 10:47
2011年05月09日
Thinking About Barrier【56】
横断歩道の信号
横断歩道の信号の間隔は。誰が、どういう基準で、決めているのか
いつも疑問に思っていた。僕のような車いすユーザーの場合、第一京浜や新宿通りでは大抵、半分渡った時点で赤になる。杖を使って渡るお年寄りも、同じようだ。交通管制センターが決めているらしいが、これまでのクルマ優先社会から、高齢化社会を見据えたdisabilityやお年寄りに優しい信号設計への変革が必要だろう。センサーにより、横断歩道上に人がいると、赤にならない信号も開発されたらしいが、普及にはまだ時間がかかりそうだ。
(Tad)
投稿者 bfc : 10:31
2011年04月05日
Thinking About Barrier【55】
大震災と障害者
今回の大震災で、あまり報じられないが、障害者の津波からの避難や避難所での生活が、どれほど過酷なものかは、想像を絶するものがある。障害者は、一人では避難できないから、日頃からの地域ケアが生死を分ける。また、避難所での生活も多くの障害者は、薬や医療を必要としているから、医療体制の確立が重要だ。この大震災で、日本人は多くの尊い生命や財産を失なったけれど、失いかけていた地域コミュニティと家族の絆を、取り戻せたような気がしてならない。
(Tad)
投稿者 bfc : 11:44
2011年03月10日
Thinking About Barrier【54】
都電と都バス
築地・銀座間に都電が復活するらしい。これを機に、都バスをヨーロッパの都市で走っているような、低床式路面電車(LRT)にしたらどうだろうか。LRTはプラットホームと電車の床の高さが同じだから。僕のような車いすユーザーにとって、乗降しやすい。今の都バスにもノンステップバスがあるが、乗降口に板を渡し運転手が押し上げる、まったくのアナログだ。4月に決まる新東京都知事には、早速取り組んで欲しいものだ。
(Tad)
投稿者 bfc : 17:38
2011年02月09日
Thinking About Barrier【53】
家電量販店のバリアフリー
家電量販店は、家電製品を多くディスプレイする事が当然から、電源を多用する。僕が、たまに行く有楽町のBは、床に配線をしてカマボコ状のプラスティックのカバーをしている。このカバーが、車いすで越えにくく、店内を見て歩く気になれない。せめて、床下配線にして欲しいものだと、いつも思う。
(Tad)
投稿者 bfc : 14:18
2011年01月13日
Thinking About Barrier【52】
コンビニのバリアフリー
コンビニエンスストアは、全国で5千軒以上あると言われ、様々な店舗があるが、僕の知る限りバリアフリーが最も進んでいるのは、ローソンだ。入り口は、大抵オートドア。段差も解消してある。トイレは、手摺付き。また、ローソンの新業態店ナチュラルローソンには、車いすトイレがある。多くの人が利用するコンビニ。高齢化社会では、サラリーマンやOLだけでなく、高齢者や障害者の利用も増えるだろう。バリアフリーに配慮した店舗開発を望みたいものだ。
(Tad)
投稿者 bfc : 08:48
2010年12月08日
Thinking About Barrier【51】
車いすユーザーが選ぶ店
忘年会シーズンたけなわ、バリアフリーと言う言葉は浸透したようだが、実際にバリアフリ−の店は少ない。車いすユーザーの立場で言うと、まずは路面店、それも入り口や店内の段差の少ない店。階上や階下だったら、EV完備か、階段の両側に手摺がある店が望ましい。更に、車いすトイレがあれば完璧だ。ホテルは、概ねバリアフリーだし、スタッフのホスタピリティと相まって使い易い。
(Tad)
投稿者 bfc : 08:14
2010年11月14日
Thinking About Barrier【50】
コックさんのパンツ
コックさんのウェアと言えば白一辺倒だったが、フランスはクレマン社のコックさんのパンツ「シロッコ」は、シックな色柄が12種類、ベルト部分はゴム入りでウエストサイズを7センチ前後調整出来る。メーカーのクレマン社は、大手が独占していたユニホーム市場にデザイン重視の商品戦略で参入。この「シロッコ」は、身体の不自由な人からも着脱がしやすいと評判だそうだ。高齢化社会、日本のユニクロも、高齢者や障がい者向けのデザイン性の高いバリアフリーウェアを開発すべきだろう。
(Tad)
投稿者 bfc : 13:50
2010年10月13日
Thinking About Barrier【49】
ハートフレンド割引
「ハートフレンド割引」は、ソフトバンクが、やっと重い腰を上げて6月から始めた障害者割引。僕はiPhoneユーザーだから、早速、近所のSBショップで手続きをする。孫社長も、野球経営と、莫大なCM投下だけでなく、こうしたCSRにも積極的に投資して欲しいものだ。
(Tad)
投稿者 bfc : 20:16
2010年09月25日
Thinking About Barrier【48】
バリアフリー文具
コクヨS&Tのハリナックス(ハンディタイプ)は。金属針を使わずに、紙をとじる事のできるホチキス。僕は。いつも金属針をホチキスに装着するのに苦労してきたから、僕のような手の不自由なdisabilityには使いやすいバリアフリー文具だ。文具メーカーには、高齢者やdisability向けに、もっとこうしたバリアフリー文具を開発して欲しいものだ。
(Tad)
投稿者 bfc : 23:42
2010年07月07日
Thinking About Barrier【47】
障害者の自立を経済学で考える。
7月2日NPO法人BFC主催、港区障害者福祉課の後援により講演会を開催する。
テーマは「障害者の自立を経済学で考える」。講師にお招きしたのは、慶応義塾大学商学部教授中島先生。先生は、御自身も障害を持つお子さんがいて「障害者の経済学」と言う著書もある。中島先生には、昨年の港区障害者週間でのシンポジウムの基調講演もお願いした。
前半は先生の講演、後半は先生を囲んででのディスカッションにしたが、障害児を持つ母親や障害者の就労支援企業の代表者から質問や意見が続出、時間が足りない程だった。
(Tad)
投稿者 bfc : 21:24
2010年05月20日
Thinking About Barrier【46】
神社仏閣のバリアフリー
先日、民主党のタウンミーティングに参加する。場所は近所の神社の社務所。手摺はあるものの、急な階段の2階。EVは無し。結婚式にも使われるそうだ。高齢化社会。神社仏閣こそ、高齢者やdisabilityに配慮してバリアフリーにすべきだろう。
(Tad)
投稿者 bfc : 23:20
2009年12月26日
Thinking About Barrier【45】
障害者週間
港区の障害者週間は、1月30日から12月5日までの1週間。様々な記念イベントが展開された。僕は、実行委員として記念イベントの企画・立案に携わり、またシンポジウムには、パネラーとして参加した。シンポジウムのテーマは「バリアフリー社会の実現」。基調講演は慶応N教授。N教授は、障害を持つお子さんがいて、経済学の視点で切る障害者福祉は、軽妙洒脱でいてシニック。とても興味深い講演だった。僕は、高齢化社会では人は誰もが障害を持つ可能性がある事を訴え、更に、息子とフィールド調査をした港区のバリアフリーの現状を報告した。最終日の障害者団体の活動報告は、様々な障害者団体の日頃の真摯な活動が理解出来た。最後は、慶応jazzバンドの演奏で盛り上がる。
(Tad)
投稿者 bfc : 16:19
2009年11月25日
Thinking About Barrier【44】
障害者団体
港区には、任意団体やNPO法人格を持ったもの等、多くの障害者団体がある。中でも8団体が加入している連合会が歴史もあり、港区との関係も深いらしい。区立のセンター内に広い事務所を構え、区立の施設に自販機を置き、その収益を運営費に充てているそうだ。先日、連合会の女性会長から連絡があり。NPO法人BFCも、この連合会に加入しないかと言われる。加入条件は、港区在住の会員が20名以上だそうだ。BFCの正会員の内、港区在住は7名。BFCは、港区在住や障害の有無より、BFCのミッションや活動を理解してくれる気心の知れた方に会員や役員をお願いしている。これからも、この方針は変えたくない。いずれにしろ連合会への加入は、理事会に諮る必要がある。僕としては、何となく権威主義を感じる連合会へは、あまり加入したくない。
(Tad)
投稿者 bfc : 11:27
2009年10月29日
Thinking About Barrier【43】
ハイブリッドカーと情報バリアフリー
「バリアフリー」は、元々全米建築基準協会が提唱した概念で「身体障害者に配慮し住環境から段差を無くす」と言う物理的バリアフリーだが、現在、心理的・社会的バリアフリーへと広がりをみせている。最近、特に注目されているのが情報バリアフリーだ。人気のハイブリッドカーは、エンジン音があまりしないから、エンジン音で車の接近を認知する目の不自由な方のために、敢て、エンジン音に似た音の出る装置の積載が義務づけられたそうだ。情報バリアフリーの好例だろう。
(Tad)
投稿者 bfc : 07:02
2009年09月19日
Thinking About Barrier【42】
選挙とdisability
8月の衆院選では民主党が圧勝し、政権交代が実現したが、僕のような片麻痺のdisabilityにとって、あの小さな投票用紙は動いてしまい、書きにくい。そこで港区の選管にお願いして、文鎮を置いて貰っている。全国的にこのような配慮がされているかどうかは、分からない。
また、diabilityにとっては、ネットの方が情報を集めやすいので、公職選挙法を改正して、ネットによる選挙活動も出来るようにすべきだと思う。さらには、住基ネットをベースにしたネット投票も、検討すべき時だろう。
(Tad)
投稿者 bfc : 07:22
2009年08月19日
Thinking About Barrier【41】
ユニバーサルデザインとバリアフリー
ユニバーサルデザインは文化・言語・男女・国籍といった差異、障害・能力の如何を超えて使用出来る施設・製品・情報のデザインと規定され、ターゲットもコンセプトも多岐に渡るから、ユニバーサルデザインと称する製品は、デザインコンプトが曖昧な物が多い。一方、バリアフリーは、1961年全米建築基準協会が「身体障害者にアクセスしやすく使用しやすい建築施設設備に関するアメリカ基準仕様書」が出され。ここで身体障害に配慮し、住環境から段差をなくす事が提唱された。日本でも1955年、公共建物のバリアフリー化基準(ハートビル法)が成立。
最近ではバリアフリー概念は、物理的バリアフリー・社会的バリアフリー・心理的バリアフリー・情報バリアフリーと広がりをみせている。バリアフリーはターゲットもコンセプトも明確だ。バリアフリーデザインと言えば、ヨーロッパ主要都市に導入されている低床式路面電車(ノンステップ・ライトレール)が典型だろう。
(Tad)
投稿者 bfc : 06:41
2009年07月21日
Thinking About Barrier【40】
『障害者週間』
障害者週間は、例年12月3日から12月9日までの1週間。国・地方自治体・関連団体が、様々な啓発活動を展開する。港区の障害者週間記念事業実行委員として、現在、企画を練っている。例年の地元小中学校お及び一般へのポスターの募集。記念コンサート。記念シンポジウム等が検討されている。記念コンサートについては、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンテストで優勝したピアニスト辻井信行氏にオファーするが、多忙で無理のようだ。記念シンポジジウムは、基調講演とパネラーの人選に入る。パネラーには、NPO法人BFCとして参加して、バリアフリー社会の実現を訴えたいと思う。
(Tad)
投稿者 bfc : 05:35
2009年06月10日
Thinking About Barrier【39】
「バザー」
例年10月に、港区立リハビリセンターでお祭りが開催される。
テーマは「地域との交流」。地域社会の人々に、センターで行われている活動を知って貰う言わば、センターのオープンハウスだ。NPO法人BFCとして毎年バザーを出店してきた。これまでは、不用品や古着等を販売してきたが、今年の品揃えテーマは「手作り」。主婦にしてjazzシンガーのHちゃんの手作りパン。クッキー。手書き絵はがき。H氏がプロデュースする、仏チョコレート職人クリスチャン・ボシャールが、知的障害者施設で製造を指導し日本で販売予定のチョコレートの製造・実演・販売が決まる。クリスチャン・ボシャール氏に、当日来日して欲しいと頼むが、スケジュール的に無理のようだ。
(Tad)
投稿者 bfc : 09:21
2009年05月09日
Thinking About Barrier 【38】
「disabilityとバリア意識」
健康な人々(tenporary ability)には気がつかない様々なバリアが、日本社会には多く存在する。BFCメンバーのY君は、銀行口座を開設しようと銀行へ行ったところ。口座申込書への記入が困難のため、母親が付き添っていたにも関わらず、後見人が必要だと言われたそうだ。これは社会制度にある社会的バリアだ。
また、BFCメンバーのKさんは、妊娠して車いすを走らせていたら、行き交う人々に白い目で視られたそうだ。これは、人の心に潜む心理的バリアと言える。
NPO法人BFCは。、こうしたdisabilityへのバリア意識調査を実施し、港区の障害者団体の力を結集して、ADA(アメリカ障害者法)と同様な精神と効果を持つJDA(日本障害者法)の立法に努力したい。
(Tad)
投稿者 bfc : 08:16
2009年04月16日
Thinking About Barrier【37】
「投票とバリアー」
解散総選挙が取沙汰され始めたが、投票所は、disabilityにとって、決して投票しやすい環境が整っているとは言えない。眼の不自由な方の点字ブースは、用意されてはいるが、僕のような片麻痺のdisabilityにとっては、あの小さな投票用紙は動いてしまい、書きにくい。港区の選管にお願いして、文鎮を置いて貰ったが、全国的にこのような配慮がされているかは分からない。選管は、disability当時者の意見を広く汲み上げ、住基ネットをベースにしたネット投票も視野に入れた、投票の改革をして欲しいと思う。disabilityにとって、投票ができ難いという事は、大きな社会的バリアだ。
(Tad)
投稿者 bfc : 05:55
2009年03月08日
Thinking About Barrier【36】
「オリンピック招致とバリアフリー」
東京都は、大して都民の支持があるとは思えないのに、オリンピック招致に熱心だ。競技会場がコンパクトにまとまっている事や、環境都市を訴求ポイントにしているようだが、同時に開催されるパラリンピックを考慮して、バリアフリー都市化を優先すべきだ。例えば、都バスを、ウイーンやフランクフルトが導入している低床の未来型路面電車へ。また都営地下鉄の駅に、すべてEVを設置する事等だ。IOCも、オリンピック開催都市選定基準に、バリアフリーを取り入れるべきだ。
(Tad)
投稿者 bfc : 15:58
2009年01月27日
Thinking About Barrier~【35】
『都市のバリアフリー』
都心のビルは、殆どが10センチ以上の段差があり、階段には手すりもない。
地下鉄は、まだ全駅にEVが設置されてはいない。都バスは、ウイーンやフランクフルトが採用している未来型路面電車(RTC)にすべきだろう。ホテルは全体的にバリアフリーに積極的だ。コンビニもローソンがいち早くバリアフリー化をしている。道路行政にはdisabirityの当事者視点が必要だ。タクシー業界は、運転手に車いすのたたみ方を教育すべきだ。いずれにしろ、日本にバリアフリー概念が導入されて長い年月が経つが、都市のバリアフリーはまだ程遠いと言わざるを得ない。港区の行政には、当時者視点でバリアフリー都市の実現を積極的に働きかけていきたい。
(Tad)
投稿者 bfc : 15:23
2008年11月19日
THINKING ABOUT BARRIER~【34】
『ヒューマンぷらざまつり』
ヒューマンぷらざは、僕が通う港区立障害保険福祉センター。例年11月に「地域との交流をより深く」と言うテーマでお祭りが開催される。地域の皆さんに、このセンターでの活動を、より理解していただくための、言わば福祉施設のオープンハウスだ。センターの利用団体による作品展示や舞台発表、模擬店やバザーもある。僕は実行委員会役員として企画を練り、音楽セラピーグループの一員として発表会のステージに立ち、またNPO法人BFCとしてバザーも出店した。前にも紹介したように今回のポスターは、BFCメンバーの佐久間庸君がデザインした。事務局によれば来場者は1200人を超え、BFCのバザー売り上げも4万円以上あった。

(Tad)
投稿者 bfc : 09:35
2008年10月15日
■Thinking About Barrier~【33】
『国際福祉機器展』
例年10月に開催されるこの展示会は、15か国、1地域、530社に及ぶ世界の福祉機器を総合展示。町工場から大手メーカーまで、規模は年を追う毎に拡大している。場所は東京ビッグサイト。サポートスタッフは配置されてはいるが「ゆりかもめ」でのアクセスはdisabilityにとって決して良いとは言えない。会場のサイン計画も、車いすユーザーに配慮されているか疑問だ。ただ、今年はエリアごとにカーペットの色を変え、カーペットにエリア表示を入れたのは評価できる。展示品についても、本当にdisabilityの事を考え、disability当時者が商品開発に参加しているのか疑問が残る製品も多い。日本の福祉機器は、欧米に比べると、もっと素材にしろ機能にしろdisabilityを参加させた研究・開発の必要がある。そういう時にこそ、メーカーは、我々NPOの力を役立てて欲しい。
(Tad)
投稿者 bfc : 09:40
2008年09月08日
■Thinking About Barrier~【32】
『ポスターデザイン』
例年、秋に開催される港区立ヒューマンプラザ祭りのポスターデザインが、NPO法人BFCの仲間の庸君に依頼される。
庸君は、天性のデザインセンスを持ち、いつもNPO法人BFCの告知ツールのデザインや、行政への企画書のメイキャップ
をお願いしている。このポスターのデザインコンセプトは、地域に根を張り、地域の人々と共に成長するヒューマンプラザをイメージしたそうだ。

(Tad)
投稿者 bfc : 18:24
2008年08月06日
■Thinking About Barrier~【31】
『北京パラリンピック』
NPO法人BFCは、2006年港区と港区教育委員会の後援を得て、パラリンピックを目指す水泳クラブを設立した。木下千代子選手は、出場した大会で高い成績を残し。2008年も全ての大会に出場するが、2秒の壁が破れず、選手枠も少ないため北京行きは、叶わなかった。一方矢萩英樹選手は、頚椎損傷のため水泳では該当するクラスがなくボートに転向、猛練習の結果、ドイツ大会で勝ち、見事北京行きを勝ち取る。
(Tad)
投稿者 bfc : 11:43
2008年06月04日
■Thinking About Barrier~【30】
『水着の競演』
北京オリンピックを睨み、英国スピード社のレーザー・レーサーを初め、国内メーカーをも巻き込んで高機能水着の開発競争が激しい。秒単位以下の速さを競う競泳の世界では、仕方無い事かもしれないが、高機能によるドーピングではないかと言う声もあるらしい。
一方で、スポーツ仲裁裁判所は、義足の陸上男子短距離選手オスカー・ピストリウス(南ア)にカーボン繊維の義足が人工的な推進力を与え、競技規則に抵触するとした国際陸連の裁定を覆し、健常者のレースに出場する事を認める裁定を下した。北京5輪への道も開けたそうだ。ノーマライゼーションの実現といえるだろう。
(Tad)
投稿者 bfc : 14:28
2008年05月07日
■Thinking About Barrier~【29】
『JDAを考える』
90年米国でADA(American with Dsabiliteis Act)が成立。また2006年12月国連総会で障害者権利条約も承認された。その後44か国以上で同様の精神を持つ法律が制定されている。日本もこうした世界的状況下JDA(日本障害者差別禁止法)の成立を急ぐべきだと思う。現在、民主党を中心とする国会議員連盟も出来て、議論をしているようだが。当時者団体も巻き込み、もっと、日本全国的に加速すべきだ。以下ADAの一部を紹介する。
第2項/調査結果と目的
a)調査結果
1)約4300万人のアメリカ人は、一つ以上の身体または精神の障害を有しており、この数字は、人口が全体として高齢化するにつれて増大している。
2)歴史的にみて、社会は障害を持つ人を孤立化、隔離化させる傾向を持っており、多少の改善は見られるとしても、このような形態の差別は、依然として重大かつ広範囲にわたる社会問題である。
3)障害を持つ人に対する差別は、雇用、住宅、公共性のある施設、教育、交通、通信、レクレーション、施設、保険サービス、投票、公益事業の利用、といった決定的分野において依然、存在している。
b)目的
この法律の目的は
1)障害を持つ人への差別を排除する明確で包括的な国家命令の制定。
2)障害を持つ人への差別に対処する明確で強力な一貫性のある施行可能な基準の制定。
(現代書館刊/斉藤明子訳/アメリカ障害者法 参照)
日本でも、このような精神を持つJDAの一刻も早い制定が望まれる。
(Tad)
投稿者 bfc : 11:55
2008年04月03日
■Thinking About Barrier~【28】
『WAPTを考える』
WAPTとは水治運動療法。プールなどでの水の浮力を利用したPTの事だ。高齢者やdisability向けのPTとして注目されている。古来、ローマ帝国や日本でも温泉治療が広く行われていたが。現在は、医学的にも立証した英国が、もっとも盛んだそうだ。日本では、NPO法人日本水治運動協会が、シンポジウムを、定例開催したり、水治運動療法士の育成等普及に努めている。理事長の水野氏は、港区の障害者センターでの水中運動教室も指導していて、僕も参加している。全国的にスイミングクラブにおける高齢者やdisability向けの水治運動療法へのニーズは高まっており、廃業相次ぐ東京の銭湯でのニーズもある。優れたリハビリ効果のある水治運動療法の普及には、指導者の育成が急務だろう。
(Tad)
投稿者 bfc : 19:04
2008年03月04日
■Thinking About Barrier~【27】
『都市の死角』
都市にはエレヴェーターや自動ドアなど便利な装置が多くあるが。その便利な装置が一瞬にして凶器に変わる。シンドラー社のEV事故や森ビルの自動ドア事故等まだ記憶に新しい。犠牲者は、いつも子供やお年寄り、disabilityだ。僕自身も、先日ある飲食店の自動ドアが突然閉まりだし、転倒して後頭部に怪我をして、救急車で病院に搬送された。これらの事故原因は、センサーの設定が健康な大人中心で子供やお年寄り、disabilityの歩行スピード、身長に対応していない物理的バリアだと思う。エレヴェーターには車いす対応のボタンがあるが。自動ドアもメーカーには研究して欲しいものだ。
(Tad)
投稿者 bfc : 09:41
2008年02月06日
■Thinking About Barrier~【26】
『バリアフリー社会の創造を目指して』
御存知のようにバリアーは段差のような物理的バリア。社会制度に存在する社会的バリア。人の心に潜む心理的バリアの3種類がある。NPO法人BFCのミッションはこうしたバリアを除去し、バリアフリー社会を創造する事にある。車いすユーザーとなり街を走ると現実的には商業施設・公共施設・道路等にはまだバリアが多くある。一方、公共交通機関はEVやギャラベーターの設置とスタッフのサポートが相俟って、改善されつつある。
具体的なBFCの活動としてはネットによる情報発信の啓蒙活動。disabilityであってもより豊かで人間的な生活ができる事を後押しする文化・スポーツ活動を展開している。将来的にはバリアフリーマーク(BFマーク)認定事業やdisability意識調査等を構想している。
BFCと障団連は、今後港区の障害者団体の力を結集し、米国のADAのような障害者差別禁止法の日本での制定に尽力すべきだと思う。ADAと同様な精神と効果を持つ法律が既に世界の40カ余国で制定されている。
(Tad)
投稿者 bfc : 15:55
2008年01月22日
■Thinking About Barrier~【25】
『神社仏閣のバリアフリー』
お正月には多くの方が初詣に行かれたと思うが、高齢化社会、参拝客はお年寄りや僕のようなdisabilityが増えると予想される。しかし、神社仏閣のバリアフリーへの対応は十分とは言えない。僕の近所の平安時代からの由緒ある神社も拝殿は急勾配の階段の上にある。EVもあるにはあるが婚礼用で車いすは使えない。元々日本の伝統建築である神社仏閣にはバリアフリーの概念はないだろうが、そろそろ社会の構造的変化に対応すべき時だろう。
(Tad)
投稿者 bfc : 10:08
2007年12月13日
■Thinking About Barrier~【24】
『今年も師走が・・・』
BFCのブログを担当して早くも2年が経過しようとしている。
常にバリアフリーを掲げ、ノーマライゼーションを念頭に置いて、自分らしく綴りながら、今年もあくせく一進一退、一年を無事に過ごしてきて、チョッと振り返ってみると師走は四季が果てるとか年が果てるという意味もあるようだが、私は「一年の最後になし終える」という事で、師匠の僧侶が一年最後のお経をあげる為に、東西南北を馳せるという事から「師馳す」という意味が深く関わっているだろうと理解する。
今年最後の仕事に取り掛かっている私は東京上野で開催中の「大徳川展」に足、否、車椅子を運んだ。展覧会場になった平成館には、徳川将軍家であった尾張、紀伊、水戸の御三家に加えて、久能山・日光・紀州の東照宮、そして更には上野寛永寺や芝増上寺など徳川家縁の地に伝えられた宝物が処狭しと集められていた。徳川家の時代は、美術展という観点から「将軍の威光」「格式の美」「姫君のみやび」の三部構成で見事に紹介されていた。
明治は遠くになりにけり! 江戸は更に遠退いて・・・ だが、その文化や伝統は現代に実に深く根付いているという事実を改めて考える自分自身に、至極、幸せを感じたのである。更に、今尚、豪州の美術館に関与する事によって、絶えず、日本の伝統美に触れるチャンスを得る事は自らに感謝している訳であると実感した。
いっ時に、ひとつの場所で、一挙に「いにしえ」と「トゥデイ」の狭間に身を置いた私の脳裏には早くもレポートの構想が浮かび、逸るハイパーグラフィアを自分の海馬に委ね、車椅子の障害者になって目の前の問題点に目をやってみる事にした。
上野の平成館では早朝にも拘らず、長蛇の列には「待ち時間60分から70分」に変わったばかりの但し書きが目に入った。入り口で係官に声をかけられた私はチョッと戸惑った。「こちらからどうぞ!」の声に人々の視線が一斉にこちらを向いた。私は平然とした態度で「ありがとう!」と会釈して、係官の誘導に従った。これって不公平かな? これって障害を武器にしているかな? これってある種特権の横暴になるのかな? 会場に入って、そんな心配は吹っ飛んでしまった! 因みに、あんな時、私は敢えて堂々と振舞う事にしている。その方が寧ろ問題を引き起こさない。殆どの鑑賞者が車椅子の存在には全く気づいていない。気遣いもない。まして、そこでのノーマラゼーションが間違っている。バリアフリーという言葉は一生懸命、その活躍を披露しようとしているのに、会場の係官が控え目に「車椅子にお気をつけ下さい!」と注意をかけてくれても、人々は無視、はたまた迷惑顔を私に向ける。自ら気づいて、ギョッとしてハッとして「どうぞ!」と言葉をかけてくれる人に会うと宝物を見つけたような気持ちに私はなった。仕事柄、美術館は慣れている私だが、全く普通の人だったら・・・と考えてしまうほどの「日本人のノーマライゼーションの意識の無さ」が鮨詰め状態の会場にはあった。
帰りのJR上野駅では介助係なる名札を付けた駅員が車椅子の私を誘導してくれた。その駅員は私が恐縮してしまうほど駅構内を歩く人々に「ゴメンなさい、車椅子が通りま~す」と言いながら歩みを進めた。エレベーターでほぼ同時に立ち止まった女性に「すみませんね、車椅子に譲って下さい!」と平然と言った。小さなトランクを引く女性は「失礼じゃないですか?」と言い返した。「先に入れてくれたら、隙間に入れますよ、どうぞ!」という駅員に女性は「横暴じゃありません?」と反論した。「早くして下さい。それくらいの荷物なら、エスカレーターをご利用下さい。閉めますよ~」の声に女性は憮然とドアから離れた。逸早くエレベーターから出た私の横に、階段を利用してきたらしい女性を見た。彼女は私と同じ電車に車両を隣同士にして乗った。幸いと言うべきだろうか、彼女は私より一駅手前で下車した。超一流のブランドトランクを引っ張る女性の脳裏には何が残っていただろう。こんな時、往々にして日本人は「知らん顔」を装うものである。そして彼女の頭には「気まずさ」と「不愉快さ」がキッと僅かな時間でも残るだろう。
もし彼女が同じ車両に乗ってきていたら、恐らく私は「先ほどはどうも・・・ ありがとう」と言ったに違いない。そんな時私は恐らく「いいえ、どういたしまして、こちらこそ気が付かないで・・・」の言葉を貰って両者、ひと時の珍事に拘わる時間は、ほんのいっ時だと思うに違いない。そして恐らく二人の間には「和み」が残るだろうと想像する。
2年前から、姿勢を正して「バリアフリー」と「ノーマライゼーション」を念頭に毎月のようにBFCのブログに綴ってきたが、読んだ人に共感を覚えていただけただろうか、それとも違
った感想を持って貰えただろうか? 私にしてみれば、どちらも歓迎する。
今年はイノシシのように突進してきたが、子年の来年もチュウちょ(躊躇)せず羽ばたいていこうではないか!
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 15:29
2007年11月14日
■Thinking About Barrier~【23】
『ヒューマンぷらざ祭りに参加して』
11月4日はカレンダーの悪戯で連休になったり、そうでなかったりして、何だか一日の損得を考えていた勤め人時代が懐かしいが、今年は損した感が残る文化の日連休だった。得をしたのは多分「快晴!」だったお天気である。これは最高の得である。
私はBFCのテントで『マイ・ラブ、マイ・ドッグ』の販売を自らが担当した。OT仲間のSさんという素直で可愛い女性が助っ人として参加してくれた。
私は所謂健常者の立場では、倒れる前の数年間、港区の外国人相談室長として幾度か独自のテントを持った経験がある。
内モンゴルからの留学生の支援が主たる思いだったが、ある特定の国や人を支援する為に相談室としてテントを持つ事は不可能だったので、私は自分の力を試す気持ちで独自のブースを持つ事にした。周知のモンゴル国とは違って、中国の内モンゴルは貧困に悩む小さな自治区である。代表として私に面会した留学生は
「日本人にとっては僅か2,000円ほど、2千円札ならたった一枚、それで内モンゴルの子供達は一年間学校に行ける!」
と熱っぽく語った。この種の悩み相談は甲乙つけ難く、支援は難しい。だが、一度ではなく何度も私の所に足を運ぶ留学生はついに私の心を動かし、立ち上がらせた。
私は留学生に言った。
「一度だけね! 私のやり方を見て、来年からは自分達でテントの申請をしなさいね」
不安そうに、留学生は私を見詰めて言った。
「出来るかしら?」
私は答えた。
「勿論、私に出来て、あなたに出来ない事ってあるかしら?」
区民祭り当日、留学生は故郷の親に頼んだ小さな品物をテント内のテーブルにいっぱい並べた。代表の父親は内モンゴルでは有識人と言われる教育者だった。私は出来る限り、歩く人を呼び止めた。区長初め、区役所の職員、党の区別を考えない区議会議員、国際交流の仲間、更に見知らぬ人に声を掛けた。
「皆さん、馬頭琴って知っていますね! 小学校で習った、ホラッ、あのスーホーの白い馬の、あの馬頭琴の国からいっぱい運んで来たんですよ!」
テーブルに並べられた品物は子供達が財布に入れてきたお金で買える物ばかりだった。玩具が飽和状態の日本の子供達は、民俗衣装の人形やゲルという家屋に目を輝かした。結果は、大成功!十数万円もの売り上げがあった! 勿論、私の友人達が事前にバザー用品として港区役所にたくさん配達してきていたので、それが売り上げを伸ばしてくれた。
留学生は喜び、同時に翌年からの自分達のテントを不安そうに語った。
「こんなに出来るかなあ!」
「無理でしょう!」
「えっ!」
「だって、日本に留学して数年でしょ。無理ですよ、多分。でも、工夫するの。自分達で考えるの、何を売ったらいいかって。他のテント見に行ったでしょう? どうだった?」
「食べ物屋さんと安くした小物が売れていた!」
「そうでしょう!でも安かろう悪かろうはダメなの。いい物が安ければ、皆飛びつくのよ」
私のテントが想像を遥かに超えた金額を出したのは「いい物をいっぱいバザーに出してくれた」知人や私の生徒の親がいたからである。
「不用品なんてないもの!」
「食べ物なんて何を出したらいい
の?」
留学生達は口々に呟いた。私は簡単に作って簡単に食べれるおやつ感覚の食べ物はないか、と訊ねた。すると一斉に「餃子! 内モンゴルの餃子! 比較できないほど美味しい!」
「じゃあ、それにすれば!」
翌年、留学生達は自分達のテントを持って餃子作りの実演と販売をやった。私はテントには入らず、会場を歩いて、ビラ配りと口コミに専念した。そして、翌年も、その翌年も、留学生は私から離れて自分達のやり方でテントを持った。今はどうしているかは知らないが、風の便りで「基金」を立ち上げたようである。
あの時の留学生の不便は「言葉」と「日本の習慣」だったのかもしれない。今回自らが障害を持ち、物品を売りさばくのはかなり困難だと私は今更ながらのように再認識した。私は障害者になって、それでも得意分野として自らも認められるあのハイパーグラフィティー(書きたい脳)を駆使しての書籍販売には○印があげれるが、今回の様に自らが片麻痺を押して販売するという事には△マークがやっとであると再確認した。予定した部数の僅か半分という結果は私に反省を齎した。
未だ未だ暗中模索の感があるBFCでのテントに持ち込む品物にはもっともっと考える余地がある。来年はBFCのメンバーには更なる成果を望むところである。
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 12:11
2007年10月10日
■Thinking About Barrier【22】
『ワンちゃんは障害社会のグレート・ヘルパー』
今や日本の犬族の嬉しい総称はペットドッグからワーキングドッグに移行してきている。その昔、日本の女性が働き始めて、BGビジネス・ガールからOLオフィス・レディに変わったのを思い出す。
さて、ワーキングドッグはペットではなく、本当に人間に必要な仕事を持つ犬の事である。盲導犬、聴導犬、介助犬などは代表的なヘルパードッグで、猟犬、警察犬が昔からお馴染みである。最近は更に、救助犬、麻薬探知犬、爆発物探知犬、追跡犬なんていうのもいる。セラピードッグやプリズンドッグも話題になるワーキングドッグ達である。
アニマルセラピーが障害者や高齢者には身近なワーキングドッグの仕事という事になる。アニマルセラピーとは、医療や福祉の現場で動物との触れ合いを通じて、身体的や精神的な病を抱えた人の機能回復を齎す事を第一の目的とする療法である。
北陸にはミクシィで知り合ったワンちゃん達が、このセラピーに積極的に参加しているので、色々素敵な話や場面を紹介して貰っているが、自ら障害者として、障害者センターで私が出会うのは精々、盲導犬である。聴導犬にはお目にかかった事がない。盲導犬のお世話になっている女性と言葉を交わした事がある。センターに来る時、厄介な人によく出くわすと彼女は言う。そんな人は殆どが年配らしい女性で、背後から声を掛けてくると言う。
「大丈夫ですか?」
「ええ、ありがとう!」
「お手伝いしましょうか?」
「いえ、結構です」
「何処まで行くんですか?」
「チョッとそこまで・・・」
「お利口さんですね。可愛いですね」
盲導犬を連れた女性は「何なの、余計なお世話よ! 何処に行こうが勝ってじゃない。お願いだから仕事中の犬には話しかけないで!」と呆れかえるらしい。
40年近く前、初めてロンドンに出張した時、玩具のデパート、ハムレイの前で立派な真っ黒な犬に出会った。帽子を被った英国紳士の脇に行儀よく座る黒犬の隣にディスプレイの為に置かれたダッフルコートの熊のパディントンが何とも微笑ましい雰囲気をかもし出していた。通り過ぎようとすると、店内から奥さんらしい女性が買い物をいっぱいして出てきた。
ロンドン本社の私の仲間が「盲導犬がハーネスを付けている時は決して声を掛けない事」と言った。盲導犬はguide dogじゃなくてSeeing-Eye dogって言うんだ、とその時思った。犬用の胴輪をハーネスって言うんだとも思った。最近の日本ではeyeとmateを繋いだ和製英語も盛んに使われている。
私は自分らしいドッグセラピーを実行している。愛犬との車椅子での散歩は毎日の事だが、ミクシィを通して知り合ったドッグ仲間が私の心を癒し、激痛に値する痺痛も時折忘れさせてくれる。今月から暫くはマイブログの脳のミステリーでは様々なワンちゃん達の紹介をしながら、彼らが如何に脳内の海馬に働きかけ、脳トレに加勢するかを綴っている。是非、開いて読んでみて下さい。
尚、来る11月4日には、港区障害者センターに於いてBFC推薦図書として、私の「マイ・ラブ、マイ・ドッグ」の販売を予定している。サイン会も、という言葉が杉本代表から出ているので頑張らなくては・・・
ところで、私の亡きゴールデンはdocile dogという意味で「素直で従順な教えやすい犬」つまりDOCという名が付いたのである、と付け加えておく。
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 17:19
2007年09月13日
■Thinking About Barrier【21】
『経験哲学って?』
悲惨と言うか、呆れたと言うか、私を唖然とさせた事故がある。障害者なのか、単なる高齢者なのか、電動車椅子初乗り、初外出で命を落とした男性がいる。
70歳を超えたばかりで、単独で電動車椅子に乗って外出するのだから老齢者と言いたくないような元気印の高齢者だったのだろうか。年を取っての車椅子は殆ど介助者が脇に、後に付いているようだが、中途障害者は違う。私のように平気で電動車椅子を利用して外出する。その年齢にはかなりの開きがある。その運動神経にも差がある。
私が自分なりの心構えを述べると「そんなに気を遣って動いていたら、疲れちゃう!」と言う人が何人もいる。私にしてみればこんな気遣いは当たり前の事なので、かえってそんな言葉に首を傾げてしまう。
因みに当然の私の心構えを披露してみよう。
私は右半身不随なので右側にはバックミラーなるものを用意している。背後はこのミラーを頼りにしている。自由が利くとは言うものの左側は全てを委ねられるのでかなりしんどい筈だ。いつも気にするのは車椅子の車幅である。慣れたもので「通れるか、通れないか」は自分の判断がいつも的確であるという事に気付く。左右の物を傷つけず、自分の物も傷つけずはこの時の行動の鉄則である。
横断歩道以外の横断はもっての外で、事故の男性のように電車の踏み切りを渡る等、考えてもみない。私の行動範囲である高輪白金付近には横断歩道はいっぱいあるが、確かに踏み切りは見あたらない。品川に行けば、京浜急行の踏み切りはあるし、以前よく行っていた小田急沿線には開かずの踏み切りも数多くある。もし、私がそんな街に住んでいたら、私はどうするだろう? 恐らく、自分の判断から「この人!」と思うような見知らぬ人に介助をお願いするだろう! 海外生活をしていた頃、私は車椅子の人によくお願いされた記憶がある。車椅子の人が他の人の邪魔にならないように悠々と走っている姿もよく見た記憶がある。この記憶が私の車椅子生活を愉しいものにしてくれている。大袈裟に言えば、これぞ私の経験哲学である。
命を落とした男性にはもっと自分を大切に、と言ってあげたかった。だが、彼の無謀な行動と最悪の結果が、多くの車椅子利用者に「要注意!」を促せばいいが、と私は思う。
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 15:35
2007年08月21日
■Thinking About Barrier【20】
『8月10日:夏日が10日も続く異常さ』
私は「五風十雨」という言葉をよく用いる。だが「十日も続く夏日」の後に続く言葉はなんだろう、と戸惑ってしまう。湿度の高い国だから、今日でもう既に熱帯夜が8日間も続いている。気象を変える事はできない。だが、対処の仕方には色々ある筈だ。
幼い頃、路地裏であちこちの家の玄関先では、夏になると夕方、涼をとる為に「打ち水」と称して水を撒いていた。玄関先の様々な鉢植えは日本のれっきとしたガーデニングの象徴だった。朝、愛犬を連れて散歩に出ると、あっちでもこっちでも高齢者の方々が夫々の家の前に水を撒いている。朝の水巻もいいものである。言うまでもなく、日差しがどんどん強くなってくるから、瞬く間にアスファルトは元の色に変わってしまう。
私は、確かに車椅子の利用者になって物事の捉え方が違ってきたのを自覚している。地を這うように走行する私の車椅子は幾つかの「迷惑」を被る。ふたつほど例をとってみようか。共に人間の手によって用意される迷惑である。ひとつは打ち水が作る道路の汚れた濡れで、もうひとつは冷房が噴出す熱気である。
道路の水は私の愛車がチョッと跳ねて足元を汚す。冷房の熱気は容赦なく私の体を不愉快にも包む。冷房から吐き出される熱気は、空からの太陽の熱と相俟って、その瞬間熱は信じられないほどの高温になる。行き場のない熱気は容赦なく私を襲う。では、道路に撒かれた水はどうだろう。確かに、一昔前は都会でも土があり、撒かれた水は地下に埋蔵されていく運命にあった。そしていつかは太陽の熱の恩恵を被って、蒸発し、やがて雲や更に雨に変わるのである。例えアスファルトの上でも掛かる時間は違ってきてもその工程は同じような事である。自然による循環は確かに再生を繰り返すという事が明らかに分かるし、悪循環ではない。
熱帯夜という言葉は日本独特で他国では「うだるような夜」という事でsultry night と言って決してtropicalという表現は使わない。そしてsultryという単語自身が土地々々で「蒸し暑い」とか「焼けるように暑い」と意味が微妙に変わってくるのである。メルボルンでの体験だが、red hotという表現で「焼けるような暑い」時でも家の中に入るとスゥーッとしたり、ヒンヤリしたものである。因みに私が住んでいた家には暖房はあっても冷房はなかった。日本では、特に東京など大都会では、競って全ての建物が冷房完備なので、外の温度は異常な高温になってしまうのである。屋内が涼しくなるという事は熱が何処で処理されているかという問題があるのは否めない。
文明がここまで発達して、電化製品がここまで一般家庭に入り込んでくると、懐かしい生活は取り戻せないのだろうか。「不便」な暑さを凌ぐ電化製品は確かに人間の身体に「便利」な冷たさを齎すが、その「便利」が振り撒く熱気の処理を「不便」に誘導せずにやって退ける術をいつになったら人間は知るのだろうか。
「五風十雨」は天気が順調で世の中安泰という事だが、「夏日十日」は悪天候で世の中不愉快という事だろうか。限りなく大地に近い処を走行するようになって私は自然と向き合って考える事が多くなったと言わざるを得ない。
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 16:48
2007年07月18日
■Thinking About Barrier【19】
『障害社会と高齢社会』
還暦祝いを優に済ませ、団塊の世代の先端を夢先案内人宜しく買って出たいと願う私は未だ、健在である。
夢は見るものではなく、叶えるものである。自らの人生半分以上を歩いてきた人間にとっては夢を急ぎ足で追い掛けて捉えて手中に先ず収めるか、片っ端から叶えていくかである。私は片っ端から叶えていきたい。
高齢社会は熟年層に近づいた人間なら必ずや門は開かれる筈だ。その門はひたすら死に近づいていくのは否定できない。だが、その道のりは平坦な道になるか、はたまた凸凹道か、誰も知らない。それならば、時を開いて進むのと同様に自ら道を開いて押し進んでみたらいい、と私は思う。
私はラッキーな障害者で、自分には絶対に必要な手と脚が一本ずつでも残って、一番肝心な仕事に復帰する事が出来た、と思っている。確かに、英語の家庭教師という仕事は即、稼げる仕事で復帰すればすぐにでも収入に繋がるのは重々承知していた。生徒やその両親からも多々、復帰を望まれたが、一年がかりで私が出した答えは豪州の美術館の仕事復帰だった。英語の指導は確かに若い子達の為になる事は分かっていた。だが、自分が可愛い私は自らが生きて復帰した証が欲しかった。そこで、私はパソコン操作を障害者として習い始めたのだった。
車椅子生活者になってからの英語指導への復帰には恐らく生徒が私の家まで来ればいい事だった筈である。逗子マリーナを拠点に教えていた当時は、東京麹町から毎週通う生徒もいたのだから、反対に湘南の生徒には高輪に来て貰う事も出来た筈だ。だが、もし私がこの仕事を選んでいたら、それまで以上に私の生活は毎日、英語指導だけに終わっているに違いない。
私は美術館の仕事への復帰を決めた。そしてこの5年間の私は毎年のように、確たる仕事を遂行し、着実にその業績を残してきている。そして、これからも更なる遂行が自ら期待出来る。清水の舞台から飛び降りるつもりで成功に持っていった日本工芸の仕事は確かに素晴らしい事だった。だが、それ以後四半世紀近い間はその成功に乗っているだけで、まるで漂流しているかのように何事もなかったように月日が経っていたに過ぎない。障害の私がたった一年の休憩の後に半身不随で引き受けた仕事はみな夫々が毎年、実を結んで実績として美術館の年表に記載され続けているのである。私は過去形になりつつあった自らの美術館の仕事を見事に現在進行形にした、と自負している。それ以上に、二足、三足のわらじを脱ぎ捨てて、たったひとつのわらじを選択した事によって、私は「興味」と「趣味」と「愉しみ」を毎日の自分の生活に取り入れる事が出来るようになったのである。先ず、執筆という愉しみがある。ミクシィという場を借りて色々な人に巡り合い、様々な大好きなワンちゃん達を紹介され、あちこち行った事もない景色を見せて貰ったり、実に数多い愉しみを毎日のように味わっている。
中途障害者になるまでは、亡き父がそうであったのと同じように、私には仕事と趣味を兼ねた英語だけが足跡に付いてきていた。だが、障害に出会って、今、愉しみが倍増しているのが私には分かる。これから、迎える高齢社会も必ずや充実したものにしていけると私は確信している。
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 13:40
2007年06月11日
■Thinking About Barrier【18】
『豪州人とのバリアフリー仕事』
40年以上前の豪州人と私の間に立ちはだかったのは「言葉」という私側の一方的なバリアだった。東京オリンピックの年と言えば、日本では何もかもが未だ発展途上にあった。
勇敢にも、若かった私は単身豪州に乗り込んだのである。ただ有難い事に、10代の単身留学が珍しいという事で送り込む日本の学校側も受け入れる豪州もかなり興味深く見守ってくれていた。半世紀近い月日を確かに身も心も豪州から離れる事なく私が過ごして来た事は否定できない。
さて、今回のバリアは「撮影」と「漆」と私の身に付いた障害というバリアだった。確かに漆塗師は言葉のバリアが最大の悩みだったと推測できる。大掛かりな撮影は初めての体験になる塗師と私をよそに、撮影隊の三人には何とも不可解な日本古来の漆というものと私の電動車椅子がバリアになる筈だった。幸い障害を抱え込んでいる私にとっては言葉も漆も障害にはならなかった。何しろ、私自身も20数年前から豪州の国立NGV美術館専属の執筆活動と陰の企画をやっているのだから・・・それに言語障害もなく、更に車椅子は優に5年は自ら乗り回している。
この時期、珍しいほど晴れ上がり、気温はどんどん上昇して太陽はあくまでも輝き、風もそよ風程度で一日の仕事は午前9時に始まった。
港区内の由緒ある浄土宗寺の境内で動き回る私達5人はあちこちで出遭う凸凹道に妙に感心し、出遭う段差を面倒にも思わずに大きな三人の男性が軽々と持ち上げてくれた。私が無事に平らな場所に陣取ると、今度は塗師と三人の男性の間に生じるバリアを私が払い除けてあげる番が来るのだった。工房内での仕事、寺院内でのインタビュー、境内裏手の瀟洒な池をバックに日本伝統の創作漆器と次々に撮影が順調に進んで一日の仕事が終了した。
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 11:13
2007年05月09日
■Thinking About Barrier【17】
『様々な障害:人を不愉快にして面白い?』
若い女性にミクシィを紹介して貰い仲間が結構増えた。色々な繋がりの輪が次から次へと面白いように出来ていく。自分に不向きなものは自分で切っていけばいいし、自分も切られる事もある筈だ。
私は先ず、ペット繋がりということでワンちゃん談義に花を咲かせることにした。ミクシィでは自分のワンちゃんだけの自慢話に終わらず、実に微笑ましい輪が広がっている。ついついパソコンの前で笑ってしまうことが多い。
英語や日本工芸も捨て置けないテーマだが、私としては仕事に繋がるので余程リクエストでもない限り、あまり深く掘り下げることは控えている。
そこで、次に来るのは、障害という繋がりの輪になる。自分の療法士のミクシィの場を借りてドンドン広がっている。
障害を持つ人がこれほど多くいるのかと、目を疑ってしまう。障害者センターで自分より若くして中途障害者のレッテルを貼ることになった盛年には特に心痛める私だが、驚いた! 働き盛りは勿論、20代の若者も事故ばかりでなく、脳卒中の後遺症に悩んでいると知って実に驚いている。
55歳で右片痙性麻痺を受容した私は還暦を迎えるまで「この若さで脳卒中だなんて!」と思っていた。それが今では、50代の人は当たり前に思えてきて、更に40代、30代、20代とどんどん年齢が下がってくると気が滅入ってきてしまう。つい先日は小児脳卒中の後遺症を持つ人を知った。小児癌に愕然と私が驚いていたのはつい先日の事だったと振り返る。それほど、障害と言わないまでも不便とか不幸とかは容赦なく一般社会に入り込んできているのである。
それにもまして、不届きな人がいる事実に無性に腹が立つ。私はごく最近だが、非常識極まりない中年というより熟年女性に呆れた。二人とも近所に住む人で、ひとりは健常者の頃から、もうひとりは障害者になってから挨拶を交わす女性である。そして二人とも「金輪際挨拶したくない」と私に思わせることになった不届き者である。
ひとりは「頭の方も快復してよかったですね。一時はおかしくなってしまったので心配しました」と妙なことを言った。何! 頭が変だ? 変なのは貴女でしょ! 私は呆気に取られた。バス通りの向こう側からお辞儀をしても知らん顔していたというのである! そんな事日常茶飯事、何処にでもあることではないか。ただ、気付かなかっただけの事である。もうひとりは姉に「いつも一緒の人、妹さんですよね。頭がやられたんですか?」と聞いたそうだ。怒り心頭の姉は言葉を失ったと言っていた。理由が奮っていて「魚屋さんで聞いたんですけど、犬の本を出版したんですって! しかも暮しの手帖社というレッキとした出版社からだ、って言うんですって!頭がやられたんだと思って!大変ですね」ときたもんだ。呆れて物が言えない。その魚屋さんはウチが前からお得意さんという関係で、本も購入してくれている。
そんな事はどうでもいいことだが、頭がおかしいなど間違っても口に出す事ではない。万が一、障害者が理解力を失っていたら尚更の事である。考えられない頭の人がいるものである!
昔、ヨーロッパでは「沈黙は金、雄弁は銀」を覆すように「喋りたまえ、雄弁は沈黙に勝る」と発言を奨励する指導者がいたそうだ。これは夫々の国民気質によると思う。単純明瞭な英語の世界では、確かに、より多く喋って自らの考えを明確にする事が大切になるだろう。一方、意味深長が特徴のひとつに挙げられる奥ゆかしい日本語はどうか? 誤解を招く事が多いと懸念される事も時にはあるのだから、我々は昔ながらの言い伝えである「口は災いの元」を常に念頭に置くようにした方がいいのではないだろうか。
おかしいと思われているのは、アナタのアタマでなくアナタのクチですよ!
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 14:25
2007年04月06日
■Thinking About Barrier【16】
『脳機能回復音楽療法』
先日、私が所属する音楽セラピーで地域の人達との交流を兼ねた発表会があった。港区縁の歌である「春の小川」ではこんな風にするとよかったかも知れない。「春の小川は、さらさらいくよ」の、「小川は」と「いくよ」を言葉がうまく出ない人に歌って貰う。自分のパートに責任を持たせるのがいいという訳である。
FMT脳機能回復音楽療法では、その特徴が障害者にも療法士にも音楽性を必要としない事に注目したい。療法士はピアノが弾けなければいけないが、クラッシックでなければという事ではなく、療法中に必要な譜面やコードが弾ければいいという事である。この療法の対象はとても広いそうだ。FMT療法ではピアノを弾く療法士と打楽器などを演奏する障害者が1対1のアンサンブル方式で音楽を演奏するという事だそうだ。私の音楽療法士は障害者夫々が論法を持って自分のパートを進めるように指導するのだが、その論法を解く事で脳を使い、楽器を演奏する事で体を使うユニークな音楽療法だという事になる。また、友達と一緒に演奏する事により、人間関係を築く事に時間を要する障害者たちも少しずつながらも療法士との間に好ましい関係を築いていけるという訳だ。脳卒中をきたした人では、様々な程度の片麻痺や言語障害などが生じる。私自身、左脳出血の後遺症で強度の右片麻痺を受容している。そこで、脳血管障害の際にみられる失語とか失音楽症について触れてみよう。
失語・失音楽症に対する早期のリハビリとして、MIT (MelodicIntonation Therapy) という療法がある。メロディック・イントネーション・セラピーか、なるほど、英語をそのまま片仮名にした方が分かりやすい。ある童謡関係の友人が母親について語っていた。「母は喋れなくても馴染みの歌は完璧に歌えるのよね」韻律の原則を用いて、句や文を一定のリズムや音楽パターンで、歌うように話させてリハビリを続けるといいのかも知れない。メロディー、リズム、強勢を調節しながら、意味的にも統語的にも完全な句や文を使って行う訳だ。音楽セッション中に一切の言語を用いないセラピー法であるFMT脳機能回復音楽療法では、療法士がピアノを弾き、障害者が太鼓などを演奏する訳だ。太鼓などで自発的な活動を促すリハビリテーション的意味合いがあるという事である。多くの脳機能を使う言語によるコミュニケーションを避けて音楽と運動に脳機能を集中的に使うおうという事である。音楽療法の効果が認められつつあるが、今後、脳の広い領域を刺激するリハビリの方向性と異なったトライアルが生まれる可
能性があるのは必至である。英語を駆使して日本語を見事に蘇らせた私は、是非、そこで脳奥の左右にある尾状核という部分の内の左側を活発に活動させて英語脳の素晴しい力を借りて、失語症も克服させてあげたいものだ、と思っている。
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 11:46
2007年03月12日
■Thinking About Barrier【15】
『私なりのノーマライゼーション』
片麻痺の私は痺れ天気予報士として「痺れが発生しやすい天気図」を発表できるのではないだろうか、と思ってしまうほど低気圧の暴れる様子が結構早くから予想する。
今年の春一番はバレンタインデーに吹いた。無論春二番はないが、その再来は確かにあった。とにかく、日本海側に発達した低気圧の悪ふざけで痺れが倍増するのはかなわない。
障害を受容するにあたって、我々には社会的な受容と自分自身の受容のふたつが考えられる。立春の頃、急速に発達した低気圧が日本海を通る時、気温が急上昇して吹く突風は多分に災害を引き起こす。春二番と称する日、東京では昼過ぎに最大瞬間風速30メートルを記録している。白金の横断歩道では若者がよろけていた。道幅が広くて妨げがないので若者は風をもろに受けたのだ。後に続く障害者の私は車椅子の重心が低いが為に比較的安定して走行していた。よろける若者につい「危ない!大丈夫ですか?」と声をかける私を振り返って彼は笑った。
一般的に障害者は社会不適合から比較的自分を孤立させてしまいがちである。
身近に消失とか消滅が起こってから、生滅とは考えるものである。「亡くなって初めて分かる親のありがたみ」というではないか。反面教師というのも周りには吉と出ることも数少なくない。障害があるからこそ、ということも間々あるというわけである。そんな馬鹿な!と言う人がいるかも知れないが、障害を抱える私が言うのだからあながち嘘!とも言えないだろう。
私が先ず、それを強く感じるのは「自然の受け入れ方と時間の使い方」である。私は、私なりの的確な「自然の受け入れ方と時間の使い方」を実践してきたと自負している。2001年秋に障害を受け入れた私は丸1年後に豪州のNGV国立美術館からSpring Flowers, Autumn Grassという企画展の準備報告を貰った。20年来のパートナーである学芸員博士の活躍の様子は私には手に取るように解った。凡そ半年に亘る準備報告と結果報告が私を奮い立たせたのである。先ず、リハビリに励む傍ら、子供達からパソコン操作を習い、障害者センターを頻繁に出入りし、マイブログ(脳のミステリー)を立ち上げた。その後、私はNGV国立美術館から次々に展覧会の裏方の仕事を依頼されるようになった。2004年は中国と日本にフォーカスしたArt of Zen展が開かれ、2006年には中国に焦点を置いたMountains and Streams展と日本に重点が置かれたFocus on Lacquer:Japan Lacquer展が開催された。発病後5年経った戌年が豪日友好30周年だったのも私にとってはラッキーだった。再開した私の仕事は英語という語学を介しての日本工芸展の下準備である。私は「昔取った杵柄」よろしく仕事に燃えた。障害を自然に受け入れた私は、自然に社会復帰したのである。そこには私流の時間に対する考え方が根底にあった。トルストイの「流れ進むのはわれわれであって、時ではない」で、私は時の流れに身を任すことはなく、自ら進んで行ったのである。斯くして、私は仕事の上でノーマライゼーションを手中に収めたと自負している。ある人が言っている。「障害者や病者は異常な状態として捉えられ、時に社会に於いて様々な偏見や差別を受ける一方、障害とか病人として人間の権利を主張できることになる」確かに、と頷きたくなる。同人の言葉は更に続く。
「それによって、社会的にも主張する主体として認められ、様々な社会サービスや人々の暖かいまなざしを受けることができ、それがいいかどうかはともかく普通になる、または近づくことを目指していく」そして更に頷く私は、自分の可能性を以て、誰もが可能性があるだけでなく、羨望の眼差しで見られることだって夢ではないよ、と付け足したくなった。Boys be ambitious! 少年よ大志を抱け! そう、Disabilities
be ambitious!
障害者よ大志を抱け! ともじったら今話題の著作権云々で窮地に追い込まれるかな? 北海道開拓の歴史を伝えるものとしてあまりにも有名な言葉は現代を凛として生きる障害者には優しい筈だ?!
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 11:44
2007年02月09日
■Thinking About Barrier【14】
『脳のミステリーは解決されないミステリー?』
多くの人間はミステリーを好むようだ。私もアガサ・クリスティーの名探偵は小説として読んだし、TVの映像でも好んで見ていたものだ。ミステリーは殆どが必ず解決して終わる。だが、最近、解決されずにミステリーが延々と続いてエンドレス・ミステリーになるものがある。脳のミステリーである。
私は、自らの脳の不思議を自問自答の形で挑戦しているが、毎日々々少しずつ変化してくる不思議の対応に忙しい想いをしている。
2月に入ってから、神経線維筋痛症という病名が俄かに騒がれ始めた。あるメディア関係の人の死が切掛けを作ったということは、恐らく誰もが周知の事である。この病気の人は物凄い痛みを訴えるらしい。らしい、としか表現出来ないのは何とも心が痛む。この病が全身の痛みだと知ると、私のような半身の痛みや痺れはずっと耐えるという可能性を考えて不幸中の幸いだと想う。
障害社会に身を置いてよく考えることがある。自らアビリティーを常に念頭に置いて考えることが出来れば、目ッケモノではないだろうか。逸早くアビリティーを自分で掴むことが出来た人が自分に打ち勝つが出来るのだと思う。自分に出来ること、と出来ないこと、これを知るのに幸い私は然程時間が掛からなかったが、一般的には結構掛かると言える。私は有難いことに、発病当初は自分の事だけを中心に考えていればよかった。これは運がよかったと言える。もう少し前に病魔に会っていたら、きっと、子供のことで慌てふためいただろう。もう少し後で会っていたら、きっと、加齢という問題が前面に出て来て、私とて、克服するのに躊躇したかもしれない。
リハビリによって私なりの慣れが定着しつつある今、他の異なった多くの障害に対して、自らの何らかの経験が夫々個々の問題を抱える人の何かの切掛けになればと想うようになった。
脳のミステリーは生きている以上、永遠に続く。だから、私も永遠に探求しながら、綴っていこうと想うのである。
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 10:00
2007年01月16日
■Thinking About Barrier【13】
『Disability’s Able Brand Cake!』
世は何から何までもブランド志向の日本、世界広しと言えども日本人ほどブランドに弱い民族はいない。他の銘柄とは異なる明確な差別性がある個性、即ちブランド・アイデンティティーをさて置いて、有名ブランドを身に付けたり、所有したりする事によって、自分の優越を誇示しようとする浅はかな民族である。こう言切ったら、私は槍玉に挙げられるかもしれない。社会や人々に抱いて欲しい本当のブランド・イメージを私はつい最近、自分の中に見つけた。自分だけが真っ先に知るマイ・ブランド、障害を持つ人間は自分の中に見つけるエイブル、即ち可能性を逸早く見つけるべきだ、と思う。私が先ず、出会った自らのABLEは「綴り方」だった。自分のエッセイに夢中になれる私は幸せ者である。エッセイを書く事によって、私は自らの過去を掘り起こして色々考える面白さを知った。マイ・ブログの誕生である。更に、犬生読本も完成した。『マイ・ラブ、マイ・ドッグ』である。さて、先ず私のABLEはKukoのABCケーキである。右手の機能を損傷した私は料理が出来ない。料理大好き人間なのに出来ない。こんなに哀しい現実はない。でも、聞いて! 右手が動かなくても「最高に美味しいマイ・ABCケーキ」が作れる事に気付いたの!
ABCのAは勿論ABLE、BはBRAND、そしてCはCAKE!右半身不随の私にも可能なケーキのブランドは「簡単に記憶に焼きつける」事が出来るのだ。そう言えば、ブランドって「記憶に焼きつける」とか「心に印象づける」の名詞形だって知っていた?Kuko’s Able Brand Cakeの材料はとってもシンプル:オリーブ油、シュガー、フラワー、エッグ、ミルク、ほら、みーんなお台所にあるでしょ。ちょっと変わった材料はデイツ、そう、ナツメの事。それにサルタナ、そう、干しブドウの事。最後に、シナモンでチチンプイプイ! デイツは中国産よりカリフォルニア産、干しブドウはレーズンよりサルタナ、幾度となく作ってみて、出した私なりの結果である。失敗なくして成功は望むな!ってとこかな!作り方は? 自分で一応ちょっと考えてみて! そう、脳のフルに使って! お菓子作りが苦手な私にも材料と道具だけで作り方が分かったのだから・・・ ああ、ゴメン! ゴメン! 道具はケーキの型、オーブン、それに一本のフォーク!そう、一本のフォークがミソっていう訳! そこがミソってどういう事? 英語だと、解り易い。That’s the key point!って言ったら一寸陳腐?だったらThat’s the charm(beauty)of it! ではどう? 素敵だね。でも、気をつけて!「ミソを付ける」って言ったら make a mess of 何て妙な事になるから。脳味噌を働かそうよ。そう、脳味噌は脳髄の俗称だけど、普通は転じて、知能とか頭の働きの事を言う訳だ。一本のフォークを手に持って脳味噌を絞って御覧なさい。ほら、アイデアが浮かんだでしょ!お菓子作りのオーソリティーが言っていたのを思い出した。お料理は材料そのものに形があって、それだけでいいけど、ケーキは形作りに始まって形作りに終わると面白い事を言っていた
っけ。お正月料理に飽きたら、作ってみてね。作る方を教えないのがちょっぴり意地悪な私! でも、脳トレの意味が深ーいって訳! 失敗は成功の元、を頭に置いて挑戦したら、もしかして一発で美味しいABCケーキが出来上がる。ディサビリティのケーキ!
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 19:10
2006年11月29日
■Thinking About Barrier【12】
『虐め自殺の予告という異常世相』
自殺を予告する手紙が届いている事で、文部科学省は11月11日、担当する児童生徒課の職員が24時間の警戒態勢を取ったと報道している。予告通りの行動は今のところない。
予告自殺という最近の風潮には、何とも言葉がない。理由は本人に聞かなければ分からないが、本人すら分かっていないような気がする事がある。
文明の発達に伴って色々な問題が起き上がるのは近代社会の悩みでもある。携帯電話を伴って登下校する子供達は世界広しと言えども日本だけだろうと思う。誘拐など、初めは子供の安全の為に持たせたのかも知れないが、それが子供を徐々に脅かして来ている事に気付くべきだと思う。情報社会は子供達の社会にも蔓延っているのが現状だが、溢れる情報に疎い子は仲間外れになるのかも知れない。情報はそれ程大切なのだろうか。情報が独り歩きして、大脳に入り込むと安心と不安が入り混じって飛び交う事がある。
先日、私の車椅子の前を小学生が一人で歩いていた。私は彼女の後をゆっくり進んだ。あまりにノロいので、私は右に左に上半身を動かしながら彼女の様子を探った。彼女は一心不乱に携帯でメールを打っていた。軽くクラクションを鳴らしたが、一向に気付かない。遠慮がちに「すみません!」と声をかけたが、振り向きもしない。思い余った私は「すみませんが通してください!」と少し声を荒立てて言った。彼女は、避ける事もせず、ただ、振り返った。活気のない顔は可愛げもなかった。無言で彼女は少し道をあけた。私の「ありがとう」という言葉は決して彼女の脳には届いていない。少し前は、子供達が部屋に引き篭って自分だけの世界に入り込んで問題にしたものだ。外を歩きながら自分だけの世界に入り込む現代社会の怖さを私は目の前にして唖然とした。小さな画面を通して伝えられる情報はいいものばかりではない。悪い情報も一杯入ってくる。そして、得てして悪い情報は人の興味心をくすぐるのである。正しい判断力が備わってから便利な携帯を所持して、初めて効力を発揮するというものである。
心から「死にたい」と思って死ぬ人はいない筈だ。だが、勿論「死んでしまいたい」と思う人はいるかも知れない。九死に一生を得て、甦った今の私にしてみれば、自ら命を絶つなど信じられない。だが、確かにじっくり考えればこれも自己中心の考え方かも知れない。
自分を振り返ってみれば、僅かな可能性が常日頃から伸ばしたいと秘かに思っていたアビリティに少しでも拘わりがあったからこそ、自ら叱咤激励を強いる事が出来たのである。身近にいる姉に置き換えて考えると、確かに「お先、真っ暗!」になってしまっただろう。彼女は20代の頃から手仕事一筋の人間だ。毎日、漆と共に生きている。その漆を自らが形創りした木地に自らの手で塗る。木と漆と喜怒哀楽を一緒に感じながらの人生で、姉になくてはならないものは両手である。だから、万が一、倒れて右麻痺を受容せざるを得なくなったのが、姉だったら、と想像するとゾッとする。そして、私はいつも思っている。「私でよかった!」と・・・
無を皆無とか絶無とは考えずに、ゼロと考えればいいのかも知れない。ゼロは加えても引いても元の数を変えないし、掛けるとゼロになる、という不思議な数である。ゼロからのスタートとは言っても、ゼロでエンドとは言い難い。
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 14:43
2006年10月30日
■Thinking About Barrier【11】
『障害者が教えてあげる!』
中途障害者の仲間になって優に5年が経った。私なりに不便の中での日常生活で便利に感じる事は色々ある。それは見かけでは判断出来ず、決して健常者が感じる事と全く同じとは言えない。
先日、エレベーターの中で妙な女性に出くわした。空っぽのエレベーターにショッピングカートを引っ張る比較的若い女性が先に乗り込んだ。続いて車椅子の私が乗った。私が乗り終わると「待ってー!」という叫び声が後方から聞こえた。中の女性が停止ボタンを押し続けて待った。
「これ便利ですねー」私に話しかけている様子だが、私は一寸頷くだけだった。更に、駆け込み女性は言った。「ホント。便利なものですよね」私は無視した。一寸見上げるとショッピンカートの女性が呆れ顔で黙視していた。
「便利よねー、ホント、便利だわ!」― オバサン、何が言いたいの? 体が不便だから、便利な車椅子を使うのは当たり前でしょ! ―僅か数分のエレベーターの中でオバサンは何度も「便利」を繰り返したのである。馬ッ鹿じゃないの! 失礼ながら、私は本当にバカだと思った。利用の階にエレベーターが停止すると、何事もなかったように、待っててくれた礼も言わずに、オバサンはサッサと降り、次に移動を始めた私に続いてショッピングカートの女性が歩き出すのがガラスに映った。私の「ありがとう」の言葉の後には女性の「いいえ」が微かに聞こえた。
優れ物の私の電動車椅子はすぐに妙なオバサンに追いついた。慌て者らしく、オバサンが通路に敷かれた敷物に蹴躓いて「ワー!」とオーバーに叫んだ。後から追いついた私は背後で苦笑いせざるを得なかった。
こんな陳腐な話はともかく、世の健常者は自分も不便を感じる障害にぶつかるのは日常茶飯事だ、という自覚がない。明らかにバランスを崩した障害者というレッテルに惑わされている事にすら気付かない。何を基準に不憫に思うのか知らないが、こちらの方がずっと勝っている事にさえ、気の毒に!という眼差しを向けてくる。人間、健常者も障害者も常に「謙譲の美徳」を忘れずにいたいものである。
所謂、一般的な健常者には障害者が「すみません!」と声を掛けたら、また、目で要求したら、手を貸して欲しい。出来るなら、声掛けは障害者の方から始めたほうがよいと言える。要らぬお節介は急減する筈だ。そして、思い遣りが町に充満する筈だ。
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 18:54
2006年10月03日
■Thinking About Barrier【10】
『慎重にならざるを得ない中途障害者』
元来、怖がり屋の私は利き側の右が思うように動かず、使えなくなって、更に健常な左側のブレーキが掛かりやすくなった。
子供の頃から、大きな怪我もなく大病にも冒されず、私は御身大切に生きてきた。反面、精神的には結構、強い人間だ、と思っている。ただ「自分さえしっかりしていれば」という気持ちが強すぎて、その分、頑固だと家族の中では専ら評判だ。だからこそ、外的影響から来る欠陥とか事故を防ごうという気持ちは人一倍強い。
自分なりに社会復帰してパソコンを通しての活躍の場が海外オンリーになると、日本に居乍らにして、日本社会を外から眺めて評価する自分に気付く。
日本の常識は外国人には非常識に思えるらしい。これには私も頷ける事が多々ある。
凡そ30年以上前から数年間はメルボルンに所謂お里帰りをする度に、日本との仕事に関する相談を持ちかけられる事がよくあった。自分自身は日本で英国法人の下で働いていたので、悩みは幾分解ってあげられた。各々の社名は名誉の為にも絶対に挙げられないが、英語の壁が立ちはだかるばかりか、相手の日本人にはとても言える事ではないような問題があり、それは延いては遠回りをして日本人の弱点に辿り着くという事を予感させた。高度成長期の日本人には「驕る平家の観がある」という言葉がとても似合っていたように思えてならなかった。そして、残念な事に、日本人はあの経済高度成長期の悪い癖を長ーく引っ張って来過ぎたと、私は思う。
例えば、英語という言葉の問題に絞ってみると何となく分かるかもしれない。「もう一度!」の一言を口から出すのに、躊躇するというか、潔くいかない人が多くいる。私は留学時代にいつも「もう一度!」を叫び、間違いに恥をかいていたせいか、あまり問題視しなかった。自分はいつも「正しい」だから、弱点を見せずに全てを知らない間にごり押ししてしまう人が日本人に多いのは否めない。あの時、完全にマスターしたのが「ソーリー」と「パードン?」だが「なあーんだ!そんな簡単な単語かあ!」とバカにするあなた! こんなに簡単な単語が現地人と同じ様に、いきなり、しかもすんなり発音する事が肝心なんですよ! 流暢な英語と聞きたくなるような話したくなるような魅力ある英語を操るって結構、自然がキーワードなんですよ。
近代日本社会では、英語教育が義務教育で3年、高等教育で3年、人によっては更に2年4年、更に、とかなり長期間に亘って学んでいるにも拘らず、苦手意識が誰よりも強いのである。話すのが苦手だ、という。幾人もの人が言う。「喋るのが苦手でね。読むのと書くのはいいんだけどね・・・」
殆どの人が読み書きは自己採点をするらしい。じゃあ、いいも悪いもわからないじゃない!喋ると本人よりも、他人の耳がすぐキャッチするから、批評を貰う前に自分から「苦手」を前面に出す訳だ。読み書きがしっかりしていればいい筈だが、話すのは確かに話し下手はいるが、それとは違った意味で話すのが苦手だという人が多い。英語に関する日本人の読聞話の良し悪し定義はおかしい!
実は、かつて、メルボルンで日本から届いたビジネスレターを見せられて絶句した事が何度かあった。レターヘッドを見て私は愕然とした。何れも大会社大企業からの手紙だった。相談してくるのが、メルボルン大学関係の人だったり、メルボルンの企業家からだったのだから相手も・・・という訳だ。自称英語屋の亡き父は明治生まれで、尊敬したのは話す事より読んだり書いたりが得意だった事である。私は、留学から帰国後、いつも「通訳や翻訳は苦手!」と言っていた。すると、周りの日本人には「何ーんだ、英語出来ないんじゃない!」と笑われたものだ。他人の思いや考えを通訳したり翻訳したり、訳が苦手で、英語を駆使して確たる分野のビジネス展開は得意だ、という意味だったのに・・・英語が解る人間だと知ると殆どの人が「通訳の仕事ですか? 翻訳ですか?」と聞いてくる。「まさか!」英語が解るからって、みんながみんな、他人の為に訳してあげる程の天才じゃあるまいし!
ピアニストにもコンサートプロがいてレッスンプロがいる。姉のような木漆工芸家にも制作専門家とお稽古指導専門家がいる。因みに、姉は前者で、教えるのが苦手。バレエの世界でも、本人はバレリーナとして世界に名を轟かせていなくても、素晴しい才能を世に出す事に長けている人が居るじゃないか。スケートの世界、サッカーの世界、野球の世界、書道、華道、茶道、武道、何の世界でも考えられる事だ。それなのに殊、英語に関する限り、日本人がギクシャクしてくるのは何故?
中途障害者の私は、自ら障害社会に居座ってみて日本の便利社会で活躍する人達の常識非常識を捉えて、自ら慎重になろうと、思う。
世に罷り通っている日本の常識と埋れている非常識を探ってみるのは面白くも大切だと思うので後日、取り上げてみたい。
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 09:54
2006年08月30日
■Thinking About Barrier【9】
『さようなら葉月、こんにちは長月!』
残暑お見舞い申し上げます。
何とも日本らしい季節の挨拶だが、最近は自然が破壊されているせいか季節感が薄れている。今年は8月8日頃だった立秋を過ぎても尚残る暑さに健康をご機嫌伺いするのも「何時にしようか、何時にしようか」と迷っている内に季節はいっきに秋に移行して行ってしまいそうだ。そう言えば、梅雨明け宣言も「今か今か」と待ち草臥れて、いざ明けると、夏休みの子供の愉しみであるプールが大問題になって、土用、立秋、残暑と時だけが順序良く過ぎ去ってしまう。太陽年と太陽の黄経によって24等分し、節気と中気を交互に配列して、折角、夫々に季節の名称を与えたのに、何か虚しさを感じる。エレベーター事故にせよ、プール事故にせよ、人災で若い人が亡くなるのは何とも哀しい事である。夏のプール事故を中心に考えるとやるせない気持ちになってしまう。一年間は長いのだから、必ず巡ってくる夏に向けて、何故、日頃から綿密な点検を行わなかったのか。毎日乗り降りする電車やそのレールは人の命を預かるのだから、点検は怠らない筈だ。プール然り! 当然の事である! 幼い命を決して無駄にしてはならない。以前、私は『脳のミステリー』というマイブログの中で飛行機の点検について語った事がある。いつの場合も、いかなる事にも常に気遣いを忘れないで欲しい。周りの条件が違ってくると、又、更に、自然環境が異なってくると、本体そのものが必要とする心遣いは自ずから変化してくるものである。私の脳出血もそうだった。私がほんの僅かな気配りを怠ったが故に引き起こされた天罰だとさえ思っている。普通なら、何事もなかった筈の私の体に大異変が起きたのは、周囲の条件が違ってきていたからだ。過労あり、食べ過ぎ飲み過ぎあり、肥り過ぎあり、そして無意識の内にやって来ている加齢、みな過剰という事で、どれもこれも一寸心配りを払えば!と思うのは後の祭である。取敢えず、あの時の悪条件は殆ど排除したと自分では思っている。でも、あれらの悪条件は常に再来の時期を狙っている筈だし、又、あれらは前よりもっと加速度を増してやって来るのだろうから「ご用心!」に越した事はない。
9月は、爽やかなイメージも強いが、酷暑の後の疲労が健康体を引っ張る傾向にあるから「気をつけて!」「Take care ofyourself! Look after yourself!」と結んでおこう。
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 13:35
2006年08月01日
■Thinking About Barrier【8】
『土用の鰻』
私が毎年、日本にいる限り、必ず怠ることなく昔からの風習を頑なに守っている事が二つある。正月の七草粥と夏の土用の鰻である。共に家族の健康を想っての私の食卓作りである。土用の丑の日には、鰻を夏負けの特効薬として食べる風習は古くは万葉集に大友家持が残している。
― 石麿に我物申す夏痩せによしといふ物ぞ鰻(むなぎ)取りめせ―「夏痩せに効くというものだ、鰻を捕ってお食べ」と真面目くさって忠告している。だが、一方では、― 痩す痩すも生けらばあらむをはたやはた鰻(むなぎ)を取る
と河に流るな ―「いくら痩せていたって、命あらばこそ。よもや、鰻を捕りに行って川で流されたりするでないぞ」と茶化している。
鰻を食べる習慣についての由来には色々あるが、平賀源内の発案というのが最も一般的である。元々、鰻の旬は冬で、鰻屋が源内に相談を持ちかけたのは、夏には脂が落ちて淡白な味の鰻がまず売れないのを何とか売る為だったからだ、と言われている。あの源内が言うならと、鰻屋は大繁盛だったと言う。昔も今も実に有名人の後押しは効くものである。実は、今だから一般にも知られている事だが、鰻にはビタミンBが豊富で夏バテ、食欲減退防止には効果覿面で、さすが源内先生!と言える。
だが、いつの時代でも、時代を先取りすると煙たがられて奇人変人と呼ばれたりする。源内のような人間を評価する風土は当時の日本にはなかった。源内は今でこそ「万能の天才だ、時代の先駆者だ」と持て囃されるが、才能ある人間を奇人変人と妙な目で見ては孤独にさせる日本には現在でも本当の意味の創造的な文化は育つわけがない、と言わざるを得ないのかも知れない。
障害者のレッテルを貼ってしまった私は、自ら奇人変人のレッテルを貼る事が出来たらいいな、と夢見ている! 平賀源内は、当時は時代に束縛された全くの不自由人の名が相応しいと思われる。平成の不自由人の仲間入りをした私は、自ら、自由な時代の恩恵を被りたく、切磋琢磨の毎日を送りたいと願っているのである。
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 16:05
2006年07月03日
■Thinking About Barrier【PLUS】
『W杯ドイツ大会に思う』
夏休みの季節に入る前に一寸一休みして、こんな事を思い出した。中村俊輔選手のユニフォームを着込んだ人達が障害者招待席から拳をあげて応援する姿を見て「彼のプレイは見る人皆に喜びと勇気を与えてくれる」とあったのを、記憶、新たにしたのである。フットボールには、サッカー、ラグビー、アメフト、それに最近、日本でも知られるようになったオージーフットボールと色々あるが、日本の蹴鞠も忘れてはならない。蹴鞠は600年代に中国から渡来したが、中国本土では次第に廃れていった。日本では、独自の発達を遂げて、平安時代には宮廷競技として広まった。鎌倉時代になると、武士階級でも盛んに興じられ、老若男女の差別無く親しまれた。蹴鞠の流行が衰える事無く長年に亘って普及したのは、階級制度の厳しい時代における民衆のストレスのはけ口にもなったからだ、と想像できる。英語だけでなく、若い頃から英国式が好みだと自ら明言する私には、英国好みに関しては様々なエピソードがある。一日に数え切れないほど飲むコーヒー好きの私は、実は胃には優しく、とアメリカン・コーヒーを片手にアメリカン・ドリームを頭に絶えず浮かべながら仕事に励むにも拘らず、就職には英国の航空会社を選択し、我が子のイニシャルはUKだ、という笑い話まで纏わり付いている。だから、好みのフットボールは当然、ラグビー。紳士のスポーツ、ラグビーである。留学してまもない頃、観戦したのはテニスではなく、オーストラリアン・フットボールだったが、すぐにオージー化した私の好みは、それでもラグビー。ケンブリッジとかオックスフォードという名門大学の名より、逸早く覚えたのはラグビー高校という名前だった。だが何故か、元々サッカー・ファンだった明治生まれの亡き母の影響で、ブラジルのペレ、日本の釜本邦茂の名前には馴染みがあった。そして、私は典型的な日本人である。流行に弱い! フィーバーに弱い! 今年の夏はサッカー観戦に燃えたのである。
今年の日本の6月はTV・新聞だけではなく、家族の間でも、障害者仲間でもサッカー・ワールドカップが話題をさらったのである。選手達の汗を画面で見ていると、梅雨の汗ばむ天気も気にならないのが不思議だった。初日のA組ポーランドがエクアドルにまさかの敗北。基本的な事を忠実に守ってプレーするエクアドルに勝を取られて、驕るポーランドは悔し涙を流した。
F組日本はオーストラリアに負け、クロアチアには引き分け、そして強豪ブラジルに挑戦する事になった。オーストラリアとは今年が友好30周年という訳で両国どちらも譲れない勝負だった筈である。クロアチアは1991年に旧ユーゴスラビアから独立して、初の1998年のフランス大会では日本人のファンには鮮明にシュケルという選手の名前を記憶に残したチームである。ブラジルに先ず、ゴールを決めた日本は素晴しかったが、結局、完敗した。
アジア・サッカー連盟は、アジア勢の全チームが1次リーグで敗退した結果について「敗北を教訓にしなければならない。落胆したが、今後はオーストラリアが参加することでアジア全体のレベルアップにもつながるはず」と話した。
日本選手のプレーを見ていた私はちょっと憂いを感じざるを得ない。インターナショナル・プレイヤーに日本人の決定的な弱さを見たような気がしてならない。
基本を蔑ろにする事、「俺が俺が!」と自己アッピールが多い事。個人戦ではなく、団体戦だという意識が薄いと、私は感じたのである。個の時代とはいえ、only oneではなくone of elevenを忘れずに戦って欲しかった。日本人が国際化するにはまだまだ時間が掛かるのだろうか。
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 12:09
2006年06月04日
■THINKING ABOUT BARRIER 【6】
『外敵の恐怖』
社会面、経済面、政治面、そしてスポーツ面ととっても多彩な紙面でズッシリ重いのが昨今の日本新聞である。話題には事欠かない日本の新聞だが、社会面は嘆かわしく、恐ろしさすら感じる。
怨恨上の殺人、しかも血族の事件もかなり多い。それが謀殺事件だとしたら、ゾッとする。海外にいると新聞では、時折、murderという言葉を見つけるが、よくhomicideを使っている。殺意なき殺人を意味するmanslaughterは滅多に使われない。一時の激情によって殺意を生じて殺人を犯した時に使う言葉だが、その英語を見詰めていると背筋が寒くなる。因みにlaughterにsをつけてslaughterにすると虐殺という事である。今、日本社会で毎日のように報道される殺人は殆どがlaughterがつく事件だと思うと事件の陰で暗闇の中で声無く笑う人間がいるという事である。
人間は何故、そんなに命を粗末に扱うのか。人間は斯くも頑丈で壊れ難い多くの機能が寄せ集まって生命を保っているのに・・・
障害を持つ身になって、命の尊さを初めてじっくり考えるようになった私は、新聞紙上を騒がす殺人で次代を担う若者が犠牲者だったりすると、口惜しくて堪らなくなる。好んで障害を受け入れた訳ではない。好んで殺される人がいる訳はない。
先日話題の映画「戦場のアリア」を観た。戦場で指揮官は勝つ為に兵士達の戦意をあおっては戦闘の中に送り込む。そして兵士達は任務遂行の為だけに我を忘れて戦う。敵味方、共に人間という同じ生き物として「前線で心身ともにボロボロになった状態の中で戦いを望む人間はいない」というと尊い心が強烈に伝わる傑作だった。
戦争が終われば、そこには死者と障害者という人間が山になって残されるのである。敢えて死に急ぐことはない。敢えて不便を求めて障害者になることはない。ひょんな事で、障害という不便を受け入れてしまったら、経験を教訓に置き換えて、今は便利を両手に抱えている人にも教えてあげたい、と思うのは私だけだろうか。
悼む死の中に生きる喜びを感じる。不幸の中に幸せを見つける。そして不便の中に便利を感じる。「戦場のアリア」は敵の中に味方も忘れていた心の尊さを伝えてくれたのである。外敵の恐怖について、先日、障害者の仲間と話し合った。死などという真剣な事でなくとも、障害者は健常者以上に絶えず、外敵の恐怖に怯えている。「お節介」という愚かな行為である。頼まれもしないのに、自らの判断だけで、手を貸そうとする人を外敵と呼ぶのは気の毒だろうか。そんな人に限って、手を貸して欲しい時ほど、知らん顔したりするものである。解りやすい例を挙げてみよう。一階に住む自分を例に取ってみる。玄関の重いドアを開けて室内に入る時、私は先ず左手でハンドルを半回転させる。ドアを少し開けて、左の靴にドア自体を委ねる。一寸強引だが、次に左手を内側のハンドルに持ち替えて僅かでもドアを遠くに押しやる。そして、瞬時に体をドアに挿む。やっと、そこまでやった途端に「大丈夫ですか?」と言って、いとも簡単にドアを結構勢いよく引こうとする人がいる。頼まれてもいないのに! よかれ!と思って手を貸しているのは分かる。だが、私は突然、頼りにしているドアを取られてギョッとしてゾッとするのである。
残念ながら、外敵の恐怖はお節介親切心と一緒にやって来るのである。皆さん、こんな経験、お持ちかしら?
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 23:57
2006年04月27日
■THINKING ABOUT BARRIER 【5】
『内敵と外敵、そして外敵を考える』
普通の考え方では、人間の敵はいつも外からやってくるのだろうが、私の敵は内からやってくるのである。外敵と内敵の大きな違いは言葉である。外の言葉は表現とか伝達の何物でもなく、間違った事が人の口から発信されてから覆すのは並々ならぬ努力が必要とされ、元に戻らない事がある。一方、内の言葉は所謂心の言葉の一種で自然に任せておけば然るべき対処が施されるという訳である。(昨年度に続き社団法人日本脳卒中協会第8回脳卒中体験談で『痺れと闘いながら言葉の甦りを実感する私』が選出される)無論、共に気持ちに左右されるのは言うまでもないが、内からの場合は自然に任せて自分だけで解決出来るが、外からは他人の気持ちと複雑に絡み合うので解決に時間がかかり、難しいという訳である。
病魔との戦闘開始直後に九死に一生を得て生と死を一つの体に共生する事を許した私は、薄々勘付いていたが、内なる敵を頼みの綱の医者に指摘されると外敵と内敵に挟み撃ちにあった格好の自分が「知らぬ存ぜぬ」を通す事が不可能であると思わざるを得なくなった。内なる敵に闘いを挑まれて虐待されると、残念ながら私には抗するすべもないのである。私の体の中での戦闘には勝敗はなく、後戻りも出来ずに悶々とする私はただただ戦慄するのである。そして、だが、それでも尚、勇敢な私はあえてこの凄まじい挑戦を自らの特権とし、自分だけの世界の中で解明したいと思っている。
しかし、ここでは他人を巻き込む外敵を取り上げてみようと思う。そして、当然だが、不随と宣告された右半身だけを取り上げてみたいと思う。
昨年前半まで、不自由な右手足に痛覚は無であった。無が外敵に虐められても単純に痛みとして感じるわけではなかった。だが、痛覚が戻りつつある今、痺れが倍以上になって私を襲撃する毎日を送っている。「ニュートンのリンゴ」と題して一寸した話をマイ・ブログに投稿した事がある。成る程、私の体内の機能は自ら感じる事がなくても地球の引力という自然には簡単に反応してしまうのか。痛覚が一番か、痺れが先か、はたまた制御が・・・無論、私としては何時の場合にも勝敗は制御がVサインを出してくれたら文句無しなのだが・・・
昨年後半から始まった外敵による痺れと痛みの二人三脚をこれからじっくり考えてみたい。変化は確かにある。いいか悪いかは知らないが・・・
真冬から若葉の季節までの日本近海では急速に発達する爆弾低気圧の動きで寒気と暖気の温度差の境目では大気が不安定になって雨を降らせたり、雷が発生したり、突風が吹いたりする。
日本の春の風物詩、春一番が最も解り易い例である。急に発達した低気圧は大きな震源のエネルギーによって引き寄せられる可能性があるらしいが、衝突して地震発生にもなるのだろう。発達した低気圧は時折、眠るライオンを起こす様に私を揺すり、自然界の厄介な動と右半身の折角の静の境界線では私専有の大気が不安定になって、突然、ガンガン、ビリビリ、痺れが最高潮になって行くのだ。
書き出しを覆す様だが天災も人災も同時に考えると『私の敵は内からの筈だがやはり人間の敵は外からやってくる』を確認する様な出来事である。
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 13:06
2006年03月29日
■THINKING ABOUT BARRIER 【4】
『音楽と運動』
私がBFC代表に出会ったのは10ヶ月前の事で音楽療法の部屋だった。私は音楽が好き、スポーツも好き。音楽はスタンダードが好き。スポーツはテニスが好き。音楽と身体が一緒に行動するのを実感するのは唯一踊りが加わった時だと長い間思っていた私は何と融通のきかない不器用な人間だったのかと、今更ながら振り返る。そして、音楽療法の部屋を覗いた瞬間から私の思い込みは消え去ったのである。
音楽に合わせて歌ったり、踊ったり、身体を動かしたりは普段、独りでは出来ない。だから、主婦していた頃は掃除をしたり、料理をしたりしている時に、私は部屋に音楽を流して「ながら族」を試みた。掃除にはスイング、料理にはバラード、子育てにはララバイ、心も体も音楽に合わせて動き出して事は速やかに運んだものである。
右半身不随の私には歩行障害があって動かさないと脚の筋力は衰える一方になってしまう。そこで、運動機能の衰えを食い止めるには音楽療法のリハビリはとても重要だと思うのである。隔週の音楽セラピーの集いは確かに少ないが、欲張りは控えよう。指導者側に立って時間配分にも思い遣りを持たなくては・・・ 昔は自然に身体が動いたものだが、最近でもラジオやテレビから流れる音楽によっては半分しか自由に動かせなくなった身体が無意識の内にリズムを取っているのに気がつく。
音楽と言えば、決まって軽音楽か極一部のクラシック音楽に偏っていた私の体が、何と民謡とか歌謡曲にも反応しているではないか。まあっ、この分野での自らの選曲は残念ながらありえないが・・・
元来、好みが結構うるさい私だが、自らの意識にも変化を感じるのである。最も著しい変化は時間の使用対象の変わりようである。時間貧乏の私は時間のやりくりに苦労するが、時間を無駄に過ごすのが大嫌いだった。「時は金なり」という言葉が常に頭の片隅にある人間だった。それが音楽セラピーの集まりに参加するようになって大変化が起きたのである。
仕事も英語が主体になっているので、これら二つに殆ど無関係に思われる音楽は考えてもみなかった。ところが、それは大きな間違えだった。人間は確かに合理性だけでは生きていけない。美を求める心が豊かさを見い出し、文化を意識して人間は生きていく糧をそこに感じるものである。人間の知恵から生活が便利で快適になる文明は時代や地域が限定されて経済や技術の進歩に重点があるのだが、文化は民族や社会の風習、伝統、思考、更に価値観が各時代にわたって広範囲に伝習され、相互の交流によって発展していくのである。そして、勿論、音楽は文化の最たるものなのである。
無論、言葉も文化、まして漆工芸は文化、という事は、私が生き甲斐の筆頭にあげる英語という言葉も日本の漆工芸という仕事も音楽と一緒に私特有のリハビリの奥義になると実しやかに言っては大袈裟だろうか。
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 13:25
2006年02月20日
■THINKING ABOUT BARRIER 【3】
『心温まる近所のおばさんの行為』
障害を持つ私がちょっと、ほんのちょっと不便なんだ、という事が構えることなく自然に判って貰える女性に出会った。年の頃は私と大差ないおばさんだった。
週末を迎える直前の我が家のゴミの扱いには特別、気を遣う。金曜日の夕方はゴミ置き場が大変賑やかになるのである。「あっ、忘れた!」分別ゴミ箱から二つの袋を取り出した私は娘の帰宅時間を考えて投棄最終時刻の9時までに間に合わせるようにせめて玄関脇の車椅子の上に載せて置こう、そう思って片手で二つの袋を持ち、右足を引きずってドアを開けた。
一人のおばさんがゴミ投棄室の方から歩いてきた。年配の割にはとても軽やかな足取りだった。「こんばんは!」おばさんはちょっと会釈しながら通り過ぎようとした。「こんばんは!」袋を持つ手でドアのハンドルにつかまりながら挨拶する私に気付いたかのようにおばさんは振り向いてバックしてきた。
「手伝いましょうか?」
「結構です。大丈夫です」
「そうですか? ゴミなら棄ててきますよ」
「ありがとうございます。もう、家の者が帰ってくる筈ですから、せめてここに載せて置こうと思って」
「そうですか? 棄ててきますよ」
「ええ、でも、折角、ご自身は終えてお帰りになるところですから・・・」
「いいんですよ、そんな事。棄ててきましょう。どっちがどっち?」
私の家のゴミを棄て終わったらしく、おばさんは戻る途中、ドア越しに言った。
「ゴミの日の夕方には奥さんの車椅子に袋を置いておきなさいな。○が燃えるゴミでXが燃えないゴミって書いて置いてくれればいいですよ」
「ありがとうございます」
寒い季節に心温まる女性に出会った私が幸せな気分になったのは言うまでも無い。
私が幼かった頃、近所には雷親父風なおじさんもいたが、心から親切なおばさんもいた。私が育った東京も「とんとんとんからりんと隣組・・・」と鼻歌混じりに回覧板を回して歩くような町があちこちにあった。親切なおばさんにはお節介という言葉は似合わなかった。やっぱり例えお節介でも一利あっても害無しで教訓がいつも見え隠れしていたものである。要らぬ世話と言われずに心から礼を言いたくなるようなやり取りが障害者や高齢者の間に浸透していけば改まってノーマライゼーションを掲げる必要もないだろう。
司馬遼太郎原作『功名が辻』が今年のNHK大河ドラマだそうだ。かの山内一豊の妻を再認識するいい機会だと思っているのは私だけだろうか。
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 12:43
2006年01月18日
■THINKING ABOUT BARRIER【2】
『戌年の年頭に考えた事』
家族の皆が心から認定書を出す介護犬、我が愛するゴールデンレトリバーが高齢社会に突入する直前の昨年クリスマスイブに突然他界した。独身貴族を通してきた彼女は閉経して癌という大きな引き換えを貰ってしまったのである。戌年の正月6日に10才の誕生を祝う筈だった矢先の哀しい出来事だった。
人間同様、高齢犬も体のあちこちに支障をきたすらしいが、気力はまだまだ充分あった。持ちつ持たれつ相思相愛ってな訳で障害者の私とは同病相哀れむといったところである筈だった。
東京生まれの愛犬は若かりし頃はスピードランナーの異名を持って、私と共に第二の故郷、湘南の海辺を走り回っていた。ところが私が脳出血で倒れて以来、海辺には戻れず都会生活を送る事になったのである。すぐ脇をけたたましい爆音を発して通るバイクや排気ガスを残して走り去る車にギョッとして尻込みしていたが、都会のジャングルを潜り抜け、車のすぐ脇を歩く事にやっと慣れてきた頃、朝晩の散歩で私の介護役に指名された愛犬は従順に努めてきた。彼女は言わば私のプライベート介護犬だった。
車椅子に乗って移動するようになって、私はバギーに乗る赤ちゃんの迷惑と低空走行を余儀なくさせられる犬の気持ちが分るような気がする。
都会の道路では乗用車、商業車そしてトラックが「そこのけ!そこのけ!お馬が通る」でなく「どけ!どけ!俺様が通る」と言わんばかりに傍若無人に罷り通っていく。はっきりした言葉が未だ々々苦手な赤ちゃんやバウリンガルの犬にはとても迷惑だ、という事が私にはまざまざと解り始めた。先ず始めに・・・幼い頃から犬を家族の一員として迎え入れていたのは、もしかしたら戌年生まれの母の考えからだったのかもしれないと思い出す。成犬になってから出会ったシェパードとビーグルとは少し違い、ブラックとゴールドの2匹のコッカースパニエルはもとより、私の介護犬を名乗り出たゴールデンレトリバーはその成長から一緒で正に家族の一員であった。出逢いには必ず別離が付き物で夫々にしみじみと思い出ある老齢期と様々な別れがあった。
共に暮らした十数年間を互いに意味あるものとして振り返ると、決して人間という飼い主の思いがペットの負担になってはならないのである。犬はいつも飼い主を気遣い、理解しようとしながら生きている。だが、人間は違う。実は「内の子は可愛いの」と押し付けがましくて困るらしい。犬は懸命にそんな飼い主を理解しようとするが、猫は逃げ出そうとするらしい。
可愛がったり世話をするのはいいが、それがあまりに一方的過ぎると尽くされる側には重荷になってしまうのである。ここで人間はノーマライゼーションの本当のあるべき姿を考えるべきだと思うのである。犬と人間の会話を一般人と障害者に置き換えて頷く私に賛同する人は少なくないはずである。
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 18:15
2005年12月19日
■THNKING ABOUT BARRIER 【1】
『文学、芸術の名主人公は障害者!』
これまで半世紀もの長い間、障害社会を時折客観的な立場で垣間見てきた私は実際に自分が障害を持つ者のひとりになって改めてノーマライゼーションとかバリアフリーとかいったカタカナに出会うと主観的に考え始めて一瞬、立ち止まってしまう事がある。
突然、被殻出血という招かれざる客の受容に有無を言わせずOKを出してしまった私は自らの経験を自分の脳裏に蓄えるだけでなく、温泉地の湧き出る湯が溢れ出していくように社会全体に伏流してじわじわと広がっていくだろうか、と?を自らに投げかけた。
この楽観的な考えは、常に嬉しい期待を持つ私がブログを開設して「脳のミステリー」を記していこうと思い立ったきっかけになっている。
好意的に私のブログをリンクしてくれたBFCとは、更に縁あって、日々、感じている諸々をエッセイに綴っていく経緯に至ったのである。
文学、芸術の世界では所謂障害者が主人公になりうる機会が多々ある。紙一重という言葉がピッタリする事がしばしばある。
そんな世界での小学生時代の私と障害者の出逢いは先ず、映画で見た谷崎潤一郎の名作「春琴抄」だった。自らも山田流の琴を奏でた亡き母は無類の映画好きで幼い私を連れてよく映画館に通っていた記憶がある。琴と言えば、後年、山田流琴の石碑の横に江戸における三味線製作の始祖なる東京市指定石碑が目立つ三田の浄土宗大信寺の魅力を綴ったエッセイを思い出す。
港区で刊行物にするにあたって執筆前に私は大信寺第26世住職に色々お話を伺った。そして一枚起請文に興味を持った。それは法然上人が亡くなる前に古参の門弟源智上人の依頼に応じて、法然自らが達した宗教的な境地で平常よく語っていた事を簡潔に滑らかな筆致で書いたものである。この誉れ高い名文を文豪幸田露伴は「日本文で書かれた神品」と言い、高村光太郎は「仏を信じ身を投げ出した昔の人の恐ろしい告白の真実が今の今でも生きて私を打ちました」と記している。光太郎が精神
を病んだ妻を歌った「智恵子抄」を改めて私は思い出した。
若かりし頃の私の記憶に残る他の主人公たる障害者は、裸の大将の山下清画伯、亡き父の書架から盗み取って読んだ伊藤整訳DHロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」等々がある。後に、山下清は私をスーラーの点描手法に関心を抱かせ、ロレンスは英文学に目覚ませた。
受験生に英語を指導していた頃、私は必ずと言っていいほどヘレンケラーのWATERに関する文を引用したものである。こんなにも簡単に障害者に関する文学や芸術の数々が思い出せるのだから、障害の様々な問題は斯くも身近で根強い迫真性があるのだ、と私は思っている。
(阪田久美子)
阪田さんのBlog「脳のミステリー」http://blog.goo.ne.jp/ban-kuko/
投稿者 bfc : 10:48